2013年4月29日月曜日

ワーグナー:「ニーベルングの指輪」から管弦楽曲集(ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団)

ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」は、全部で4つの楽劇から構成される長大なもので、全曲を聞く機会などそうあるものではない。私も実演はおろか、CDでさえも全集を持ちあわせてはいない。ビデオなら放送されたブーレーズのものと、Metライブ上映された最新のルパージュのものを「真剣に」見た。だがそのような経験を経るまでは、このような巨大な音楽はとても手の届くものではなかった。

ワーグナーの音楽への入り口としては、まず「タンホイザー」や「ニュルンベルクのマイスタージンガー」などの前奏曲となる。そしてたまたま買ったレコードの余白?に「トリスタンとイゾルデ」やジークフリート牧歌などが入っており、なかなかいい曲だなと思ったりする。だがそのあと、オペラ全曲を聞くまでの間には、高尾山とマッターホルンほどの差が?あるように思う。ところが普通の登山者はなかなか踏み込めない領域に、ヘリコプターで訪れる日帰りツアーのようなものがあるとする。それはそれで見どころにさっと連れて行ってくれる大変便利なものだが、見ている光景は同じでも麓から登ってきた人と感じ方は違わないだろうか?

変な喩え話はやめようと思うが、ここで聞く全盛期のクリーヴランド管弦楽団をジョージ・セルが指揮した楽劇「ニーベルングの指輪」からの音楽集は、そのような手っ取り早い「指輪」入門編である。いやこれはオペラとは違う音楽であると割り切ったほうがいいのかも知れない。 完璧主義者のセルは、その力を発揮してオーケストラから他の演奏では聞こえないような部分までもクリアーに、リズムの処理も厳格に、ワーグナーを指揮している。すっきりとした、それでいて迫力もあるこの演奏が、私はとても気に入っていた。テープにダビングしてカーステレオで何度も聞いたものだ。

 「指輪」の全体に触れるまでは、このCDで聞くそれぞれの音楽が、みなとても素晴らしく「独立して」楽しんだ。4時間以上もかかる楽劇から十数分ずつしか演奏されないということは、とりあえず横において。またこれらの音楽は純粋に管弦楽曲として演奏されているので、歌も合唱もない。しかしこれらの曲は楽劇の中で、純粋に音楽だけを聴かせるシーンで演奏される部分が中心だから、当然のことである。もちろんそういうことははじめはわからない。

そういうことがわかってくるのは、全部のあらすじを追いながら聞いたあとである。実際にはこれらの有名なメロディーは、前の音楽がおわりかけて、そのまま混沌とした中に少
し出てきたかと思うと再び他の音にまみれ、そういったことを何度も繰り返しながら徐々にメロディー(動機)が明確になってくる。長大な会話やモノローグが、さして変化もない舞台で延々と演じられたあと、待ってましたとばかりに鳴り響く圧倒的な音楽に到達する。そのプロセスこそが、ワーグナーの素晴らしさであるとわかると、これらの「ダイジェスト」はいかにも安直な印象となる。

しかしそういういろいろな演奏に接したあとで、そういえばセルの演奏は、楷書風で正確無比、それはそれでいいなあ、と思う。その音楽を聞きながら、目にシーンを思い浮かべる。そのようにして「ダイジェスト」の楽しみもあるなあ、などと思ってみたりする。だが話があまりに早く展開しすぎて、置いてけぼりをくらったような感覚となるのも否めない。まあそれは数多ある「指輪」の「ダイジェスト」のどれにもあてはまることなのだが、このセルの比較的テンポの速い演奏は、とりわけそのような印象を与える。演奏は素晴らしいが、早送りで名画を見るような気分がしてしまう。もちろん、それは何度も言うように、「指輪」の全体像に触れた後でのことなのだが。


【収録曲】

1. 楽劇「ラインの黄金」より「ワルハラ城への神々の入場」
2. 楽劇「ワルキューレ」より「ワルキューレの騎行」、「魔の炎の音楽」
3. 楽劇「ジークフリート」より「森のささやき」
4. 楽劇「神々の黄昏」より「夜明けとジークフリートのラインへの旅」、「ジークフリートの葬送行進曲」

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