
その第2楽章の美しさはたとえようもない。何となくどこかで聞いたことのあるようなシューベルトのメロディーだが、それは途中からもっと深刻なものとなる。ここの曲ほどシューベルト的な曲はないと思う。そういう意味でこの曲は、彼の8曲ある交響曲のなかでも秀逸なものだと思う。ここにはもはや「走る悲しみ」はなく、行き場のないような哀しみである。そこにシューベルトの世界が広がっているように感じる。
第3楽章はリズム処理が面白く、いわばスケルツォ風である。重々しいが中間部になるとほっとするような安堵感が漂う。第4楽章になると、再びシューベルトの独壇場とでも言うか、テンポを刻みながら静かに走っている。やがて体が運動に慣れてきて、丁度いい感じになる。これと同じような感覚は、「グレイト交響曲」の終楽章でも味わえる。私はこの音楽が好きである。短調独特の暗さが漂っているが、充実した音楽に乗っていける。しかも主題が何度か繰り返されるので、長いがその分、適度な「運動感」も得られる。オーケストラが次第に熱を帯びてくる様子がわかる。
先月のサヴァリッシュに引き続いて、コリン・デイヴィスの訃報までが飛び込んできた。私にとってコリン・デイヴィスはサヴァリッシュほど身近ではなかったが、結構気に入っていた指揮者だった。2度ほど実演を聞いている。1回目はニューヨーク・フィルとのマーラーを、2回目は内田光子をソリストに迎えたロンドン交響楽団とのモーツァルトだった。さらにはレコードで聞く演奏には60年代のベートーヴェンを先頭にあらゆる年代、国、ジャンルの作曲家に及び、それはつい最近まで続いた。
そのデイヴィスは90年代にはシュターツカペレ・ドレスデンとの素晴らしい演奏の数々をデジタル録音している。丁度古楽器奏法が主流となって、CD販売の不振が続き、次々と指揮者が録音の予定から降板した頃だったので、これらの演奏には大変素晴らしいものが多いにも関わらずあまり評判にはなっていない。ドレスデンとのシューベルト交響曲全集もそのひとつではないだろうか。
だがここではいつものかっちりとした堅固な演奏が聞ける。そしてドレスデンの響きによくマッチして、ファンには嬉しい限りの演奏だが、聞く人によっては「力任せ」だの「無骨」だのと批判が多い。私はファンなので、今日は第4番を私の追悼演奏として聞いている。高い完成度で第2楽章など胸に迫る。
春が終わってまもなく初夏というよく晴れた日の朝。ふく風はまだ少し寒いが、日差しは眩いばかり。そのような一日なのに、なぜか寂しい気分である。新緑の木々が雲ひとつない空に映えて揺れている。そんな今日も、午後には急な寒気のせいで突風が吹く嵐になるらしい。
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