大概オペラの「あらすじ」というのはわかりにくい。これは一度は理解したストーリーを、思い出すためにあるものだ。ではどうすれば最初は理解できるのか。これは結構大変な問題である。そのわかりにくい「あらすじ」と音楽を重ねあわせるため、格闘せねばならない。ヴェルディ中期の大作「シモン・ボッカネグラ」の場合は特にそうである。なにせこの物語は、25年の時を隔てた2つの話から成っている。話を理解しやすくするため、第1幕の前に25分もの長さに及ぶ「プロローグ」が置かれている。だが、そのストーリーも「あらすじ」で読むとわかりにくくなる。
第1幕で、このオペラの唯一の女性登場人物であるアメーリア(ソプラノのエイドリアン・ピエチョンカ)は、ガブリエーレ(テノールのマルチェッロ・ジョルダーニ)と恋仲である。デル・モナコ演出の豪華な舞台では、この第1場のためだけに、海の見える郊外の一軒家がセットされていた。テノールとソプラノの歌う場面は、しかしこのオペラの見せ場ではない。このカップルも、どちらかと言えば主役ではない。
この家はアメーリアが育った家である。しかし彼女はここの生まれではなかった。彼女はジェノヴァの総督シモン・ボッカネグラ(バリトンのプラシド・ドミンゴ!)の子だったのである。シモンの娘は、幼いころに行方不明になっていた。シモンはそのことをずっと気にかけ、いつか娘と会える日をと望んでいた。だが、彼女は政敵フィエスコ(バリトンのジェイムズ・モリス)の家に匿われていたのだった。
シモンの娘を思う気持ちが強ければ強いほど、アメーリアは父とボーイフレンドとの間で心が揺れる。シモンは自分の娘が、そこの若い貴族であるガブリエーレに嫁ごうとしているのである。この心の動きはまた、彼自身が25年前に味わったものとスクランブルする。シモンは、政敵フィエスコの娘マリアと結婚したがフィエスコに反対され、総督に上り詰めたもののマリアは死に、娘は行方知らずとなってしまっていたのである。
貴族派と庶民派の対立、あるいはもう一人の重要な登場人物パオロに触れずにあらすじを押さえるとこういうことになる。贅肉を落とせば、このオペラは娘と再開する父親の物語である。だが悲劇はシモンの死で終わる。毒を盛られたシモンは、死期を悟ると政敵を赦し、娘の結婚に同意する。ガブリエーレは、ジェノヴァ総督の後継者に指名されるのだ。
二人の重量級バリトンとバスが登場し、このオペラは男声の競演となる。全体に美しいアリアなどはほとんどなく、ヴェルディの初期の作品に親しんだものから見ると、大変取っ付きにくい。このためか、音楽的には玄人好み、上演回数も少ないようだ。そういえば他の作品では名盤を残したカラヤン、ムーティといった指揮者を耳にしない。唯一アバドの歴史的名盤が、今でも大変高評価を得ている。
アバドの「シモン」は、1981年のスカラ座の来日公演でも披露された。この時の舞台は大変なものだったようだが、一緒に来たクライバーの「オテロ」と「ボエーム」の陰に隠れてしまったことをおぼろげに覚えている。それ以来私も「シモン」からは遠ざかっていた。
今回Live Viewingで見ることになった2009年のMETでの公演は、ジェイムズ・レヴァインの定評ある指揮とデル・モナコの絢爛たる演出によって大変評判の高いものだったが、この公演での評判はもっぱら初めてバリトン役として「デビュー」を果たしたプラシド・ドミンゴにあった。ガブリエーレでは登場したことのあるドミンゴも、実はシモンを歌いたかったようだ。そもそも少し低いテノールの彼は、自身が年を重ねたこともあってバリトンとしての役に挑戦することとなった。
バリトンのドミンゴは艶があり、フィエスコ役のモリスの歌声とは異なる。そのドミンゴが父としての役を演じるのは何とも決まっている。ドミンゴとレヴァインには盛大な拍手が送られたが、他の3人の歌も大変素晴らしく、おそらくは「シモン」の代表的上演と記録されるであろう。だが、このオペラをほとんど初めて聞く私にとっては、まだまだ作品を楽しむレベルに達していないことを正直に白状しておこうと思う。今後は「あらすじ」を追うことなくもう一度見てみたいと思う。そしてできればアバドの演奏も聞いてみたい。
ついでながら、このオペラにおいて語られるべき改訂のいきさつと、基礎知識としての当時のイタリアにおける貴族派と庶民派の対立といった社会背景については、このオペラを見る上で必要なことだが、最初はむしろ混乱を招く。情報量が多すぎる、というのが「あらすじ」を難解なものにさせる原因だからだ。
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