2013年9月30日月曜日

国鉄時代の鉄道旅行:第11回目(1985年8月)

受験浪人時代の夏休み、私は小学生時代の友人で同じく浪人生のT君と、息抜きを兼ねた1泊旅行を計画した。名目は東京の大学を下見に行くというものだったが、大阪を早朝に出発しても東京到着は夕刻であり、その後新宿発の夜行列車で小淵沢まで行くというのだから、何も見物できない。そのことはT君は百も承知で、彼もまた久しぶりにのんびりしたい、ということだった。


T君は私の小学5年生の頃からのつきあいで、彼こそ私に鉄道趣味を植えつけた張本人であった。彼は毎日学校へ「交通公社の時刻表」なる雑誌を持込み、赤鉛筆で線をなぞりながら、この列車の表定時速はXXキロなどと、算数のノートの端に筆算をしては私を驚かせた。彼は覚えたての割り算を素早くこなしたが、それはそろばんの成果でもあったようだ。

その後小学校6年生になるまで仲がよく、中学校へ進んでもクラスは違ったが、良く遊んだものだった。高校生になるとハイキング仲間として京都や滋賀方面へ山登りに行くこともあった。だが大学受験を控えて彼は複雑な家庭環境もあり、ナーバスになっていった。大学受験を目指していた頃、両親が離婚。父親は行方しれずとなったようだ。まだ中学生や小学生の弟や妹を抱え、母親だけの収入では足りないからと、アルバイトをするようになった。とても頭が良かったので気の毒だったが、何よりも勉強時間を確保できないことが彼を悩ませた。だが、それよりも彼は現実から逃避するようになった。

国鉄の吹田駅で彼とは待ち合わせをした。ところが私はこういう大事なときに朝寝坊をしてしまい、彼には1時間以上も待ちぼうけを食らわせてしまったのだ。怒る彼は無言のまま、乗るべき列車よりも何本も遅い列車を乗継ぎ、草津、米原、大垣と行く間、ほとんど口を聞いてくれなかった。私はとても後悔し、気を取り直してほしい、と浜松で「うなぎめし」の高い方のお弁当を買って差し出した。その頃から、すこしづつ打ち解けてくれた。

東京では何をしたかあまり覚えていない。8月もほとんど終わりかけの頃だったが、東京は大雨だった。いろいろ歩いてまわろうとしたが、雨に濡れてしまう。まだラッシュアワーの続く新宿の夜10時過ぎには列車が入線し、長い間列車小淵沢行きの出発を待った。中央線快速の最終列車を兼ねるこの列車は、酔っぱらいをのせたまま、豪雨の新宿駅を出発した。八王子を過ぎると夜行列車となり、途中、甲府で一時間以上も停車する。東京発の夜行普通列車はどれも満員だが、この列車もあまり乗り心地は良くなかった。

朝もやの中、中央地溝帯の深い谷の中腹を行くと、小淵沢に到着した。ここはまだ山梨県で、ここからさらに乗り換えて松本まで行く。この区間は風光明媚な区間で、諏訪湖なども見えるが、私たちは熟睡していたのだろうと思う。だが松本駅に着くと、美味しい駅のそばで腹ごしらえし、大糸線に乗り換えた。大糸線は思い出深い路線だが、その途中にある白馬の手前、飯森あたりは、私たちが小学校の修学旅行で訪れたことがあり、彼と共通の目的としてそのあたりを見てみよう、というのが旅行の建前だった。

北アルプスを見上げながら青木湖を過ぎると、列車は日本海に向けて下ってゆく。冬ならスキー場が続くこのあたりは、とりわけ山深い地方であると同時に、なかなか立派なアルペン・リゾートでもある。特に白馬を過ぎ南小谷で本数の少ない鈍行列車に乗り換えると、その風景は一変して、よくもこのようなところに線路を引いたと思わせるようなローカル線となる。この糸魚川までの区間に乗ってみたかったというのが、彼と私の本当の目的であった。アメリカ人の家族が、当時はまだ珍しかった大型のハンディ・カメラを持ち込んで、車窓風景を撮影していたのが印象的だった。

その日はとても暑かった。大雨の後、日本列島は快晴となったが、残暑はきびしく、糸魚川のそれはフェーン現象もあって気温が40度近くあった。乗り換えの時間を利用して海岸近くまで歩いたが、その時は目眩がするような暑さだった。

親不知を通り過ぎ、富山を目指す。列車は北陸本線の快適な冷房車である。倶利伽羅峠を越え、金沢を通り過ぎ、福井での停車時間にアイスクリームなどを食べる。編成の長い列車は非常に空いており、ここからさらに敦賀を過ぎて米原までのんびり進む。外は猛暑でも車内は快適であった。

米原から姫路行きの快速列車の乗り換えると、後方の空調のない車両は蒸しかえるような暑さだった。夕陽が彦根城の向こうの、琵琶湖のほうから容赦なく差し込んでくる。窓を全開にしても、入る風は熱い。だが私たちはゆく夏を惜しむかのように風に打たれる方を好んだ。受験までのあと半年は、今から思い出してもぞっとするような時間との戦いであった。今でも焦る夢を見るこの時期は、不思議と記憶が曖昧である。なので、この列車旅行の記憶だけが詳細に脳裏に刻まれている。

T君はその後再び浪人し、不本意ながら四国のある大学に進んだ。私は彼が徳島で下宿している時に一度会いに行ったことがある。だがその次に彼を見かけたのは、意外にも私の近所でのことで、結局彼は家計を助けるべく大学を中退し、アルバイトに精を出していた。数年後、私の就職が決まって上京する時に、私は連絡先を探しあててコンタクトをとった。だがこの時は待ち合わせ時間に彼が1時間以上遅れた。私はそれでも辛抱強く待ち、とうとう彼は約束通り、待ち合わせ場所に現れた。小一時間喫茶店で話した時に、彼の目からは、小学生時代に時刻表を眺めては私に得意がっていた、あの少年の輝きが失われてしまっていることを発見した。彼に会うのはもう最後かもしれないと、その時思った。その後T君からは音沙汰が無い。

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