2013年9月21日土曜日

ロッシーニ:歌劇「セヴィリャの理髪師」(The Met Live in HD 2006-2007)

ボーンマルシェの戯曲「セヴィリャの理髪師」は、この後に「フィガロの結婚」が続き、そして「罪なる母」へと進む。したがってロッシーニの「セヴィリャの理髪師」はモーツァルトの「フィガロの結婚」の前の話で、伯爵夫人となるロジーナがどのようにして、アルマヴィーヴァ伯爵と結ばれたか、という喜劇である。モーツァルトはロッシーニの前の作曲家だから、当然ロッシーニの「セヴィリャの理髪師」(1812年)を知らない。モーツァルトが知っていた「セヴィリャの理髪師」は、ジョヴァンニ・パイジェッロによりすでに作曲されていた作品(1782年)で、これを受けて「フィガロの結婚」(1785年)を作曲したとされている。

ロッシーニはパイジェッロに作品の許諾を求める手紙を書いたが、初演時には相当な妨害工作に会い、惨憺たる結果に終わった。しかしこの作品はすぐにロッシーニの人気作となり、いまではパイジェッロの方は忘れられている。だが、パイジェッロは、少し調べたところ、92曲もの歌劇を書いた作曲家で、美しい旋律美に溢れているらしい。一度見てみたいものだと思う。

ロッシーニはベートーヴェンの時代に活躍した作曲家でもあるが、その作風は見事なまでに違う。そしてこの「セヴィリャの理髪師」は、丸で吉本新喜劇を思わせるような抱腹絶倒ドラマで、一瞬足りとも気を抜けない楽しいオペラである。しかも優美な旋律美に溢れる音楽が、ロッシーニ・クレッシェンドに乗って駆けまわる様は、よく知っているとは言え、わくわくする。私も今まで見逃していたMET Liveシリーズのアンコール上映に駆けつけることができるということが自分のスケジュール上で決まった時から、ワクワクし通しであった。いつものようにiPodに入れて、アバド、マリナー、それにパターネによる代表的録音を連日聴いていた。

ロッシーニの音楽が人気あるにもかかわらず上演回数が少ないのは、理由がある。歌える歌手を揃えるのが困難だからだろう。だがこのMETで2007年3月に上演されたバートレット・シャー演出、マウリッツィオ・ベニーニ指揮による上演は、映像としては最高の出来栄えではなかったかと思われる。何せアルマヴィーヴァ伯爵にフアン・ディエゴ・フローレスを迎えているのだから。

フローレスの歌が聞きたくてこの公演に駆けつけたファンは数多いだろう。その歌声は、登場する第1幕の有名なカヴァティーナ「ごらん、空が白み」をたっぷりと歌い、ピタリと合わせるベニーニとの見事な呼吸を披露すると、いやがうえにも期待は高まるばかりとなる。そうそう、ここでの登場は画期的なもので、何と客席から舞台に飛び上がったのだ!オーケストラを取り巻くように歌舞伎で言う「花道」が付けられていて、時に歌手たちはこの上で(つまり指揮者の前に来て)歌う。

だがこの日素晴らしかったのは、フローレスだけではない。次に登場する愛すべきキャラクター、フィガロはスウェーデン人のバリトン、ピーター・マッテイによって歌われたが、これが何とも好感の持てる役になりきっていた。おそらくこういう人物が期待されているだろうと感じさせるような、堂々として時にコミカルな役である。この役がテノールではなく、バリトンであることに注目すべきだと思う。屋台の移動車(それが散髪屋)の屋根に乗ったり下りたりして、あのアリア「町の何でも屋」を歌う。

いよいよお待ちかねのロジーナは、登場していきなり「今の歌声は」を歌わなければならない。だが、アメリカ人のソプラノ、ジョイス・ディドナートはこの歌を個性的に歌いきった。コロラトゥーラの魅力を発揮し、あのマリア・カラスの名唱にも引けを取らない歌いぶりは、箱入り娘にしては芯の強い、自己主張型の女性である。

バルトロ。ジョン・デル・カルロ演じる老医師の役こそ、この歌劇の決定的に重要な役で、この人がいなければこの日の成功は半分しかなかったような気もする。それほどこの役は見事だった。もちろんもう一人のバス、音楽教師のバジーリオは、バスの歌手として見事な歌いぶり。登場する箇所は相対的に少ないが、アリア「中傷とはそよ風」を熱唱し、観客からブラボーが乱れ飛んだ。

こうなったら、もう見るしかない。会話の部分でさえいっときの目も離せない集中力で画面を食い入るように見入った結果、第1幕の終盤の抜群に楽しい6重唱以降のフィナーレが終わる頃には、もうヘトヘトであった。15分の休憩をはさみ、興奮を覚ますまもなく、第2幕が始まる。

有名な歌が第1幕に集中しているので、第2幕はCDなどで聞くと地味な印象がある。だがそれは大間違いである。ロジーナの歌のレッスンで、バジリオに変装した伯爵が見事な演技を繰り広げるからだ。舞台に2人のバジリオが居合わせるシーン、鍵を盗むシーンなど、どれも腸がねじれるような笑いだが、その間に挟まれる音楽がまた、楽しい。このようなことをここで文章で書くのも何か限界を感じる。

嵐のシーンが来るともう終わりなのかと思ってしまうが、最後にフローレスはアリア「もう逆らうのをやめよ」で、満場の拍手をさらったのは、ダメ押しの圧巻であった。拍手がなかなか鳴り止まない、という光景を久しぶりに見た気がする。あっという間に幕切れとなったが、最後の最後まで見応え満載の3時間は、瞬く間に過ぎた。お腹いっぱい食べたような充足感で、お昼になっても空腹を感じる事もなく、10時に始まった上映は13時半前に終った。どっと疲れが出て、公園のベンチで子供たちが遊ぶのを眺めながら、うとうととしてしまった3連休の初日であった。

(追記)このディドナート、フローレスの組合せで、今シーズンは「チェネレントラ」が上演される。今から待ち遠しいが、私は来月に、新国立劇場で「フィガロの結婚」を見るう予定である。「セヴィリャ」「フィガロ」と続くその後には、「ばらの騎士」ではないかと思う。すなわち、伯爵夫人を元帥夫人に、ケルビーノをオクタヴィアンに置き換えてみると、この3つで三部作となる。もちろんボーンマルシェの結末とは違うのだが、シュトラウスは確信犯で「ばらの騎士」を書いたのではと思えてくる。

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