2013年9月1日日曜日

ポンキエッリ:歌劇「ジョコンダ」(パリ・オペラ座ライヴ・ビューイング2012-2013)

ヴィクトル・ユゴーの原作をボーイトが台本化したポンキエッリのオペラ「ジョコンダ」は、リコルディ社から楽譜が売り出され、ミラノ・スカラ座で初演された。これだけを見れば晩年のヴェルディの作品に引けを取らない。だが、あの劇的な心理描写と力強い旋律に満ち溢れたヴェルディの作風には及ばず、かといって甘美で徹頭徹尾流麗なプッチーニのメロディーにも満たない。ポンキエッリという作曲家の作品で唯一演奏される機会に恵まれた「ジョコンダ」は、所詮そのような中途半端な作品であると、思ったのは最初のうちだけで、聴き進むうちに見応えは十分だし、複雑なストーリーも深みを持っているばかりか、合唱やバレエといったエンターテイメント性も持ち合わせている。なるほどこれがヴェルディからヴェリズモ・オペラを経てプッチーニに至る移行期に活躍した作品かと思わせる結果となったのは、歌唱力を必要とする多くの歌手の力量によるところが大きい。

今シーズン最後の「ライブ・ビュー」に、パリ・オペラ座はその輝かしい歴史の中で意外にも初演奏となる「ジョコンダ」を選んだのは、この作品を立派に上演してみせるという意気込みの現れだったのではないか、と思えた。案内役の評論家、アラン・デュオ氏も今回は力が入っているように見えた。バスティーユの新しい歌劇場に詰めかけた観客の前に、指揮者のダニエル・オーレンが姿を現す。前奏曲が厳かに流れると、すぐに幕が開き、そこに赤と黒で象徴的に表現されたベネツィアの運河が現れた。ゴンドラが人を乗せてゆっくりと入ってくる。悲劇を予感するような異様な始まりは、オテロのイアーゴを上回るような悪役、バルナバ(バリトンのセルゲイ・ムルザエフ)の登場で極まる。彼は横恋慕する歌姫ジョコンダ(ソプラノのヴィオレータ・ウルマーナ!)に袖にされた腹いせに、盲目の母チエカに魔女の濡れ衣を着せるのだ。

これだけでも見てはいられないほど嫌なストーリーである。冒頭から響く合唱、カーニバルの華やかな雰囲気は、恐ろしい心理描写をかえって強調する。その可哀想な母チエカ(コントラルトのマリア・ホセ・モンティエル)を助けようと必死のジョコンダの願いを、騒ぎを聞いて駆けつけた司法長官アルヴィーゼに、妻ラウラ(メゾ・ソプラノのルチャーナ・ディンティーノ)が取り次いで許すのだ。だが、これでほっとするのもつかの間、このラウラは別れた恋人エンツォに出会ってしまうのだ。しかしエンツォ(テノールのマルセロ・アルバレス!)こそ、ジョコンダの恋する人だったのだ!ああ、ややこしい。しかも悪の権化、バルナバはこの不倫カップルをも破滅に追いやろうとする。エンツォにラウラとの逢引を手伝いつつ、手下の部下を使って恋仲を密告する手紙を書かせ、ライオンの口に投函させる。

以上が第1幕「ライオンの口」である。ここですべての登場人物が姿を現す。約1時間の長い幕は、筋を負うだけでも苦労する。どうせ気乗りのしないオペラだったし、寝てしまってもいいかと思っていた私は、そのドラマチックな展開に引きこまれてしまった。

だが、これは第2幕「ロザリオ」になってさらに強くなっていく。ここでは登場人物に組み込まれた二重唱やアリアの熱唱が待ちかまえているからだ。まず、少年合唱団を含む冒頭の船乗りたちの歌で、それまでにない新鮮なムードが表現される。舞台は赤い帆の船。 登場するエンツォによる有名なアリア「空と海」である。テノールのマルセロ・アルバレスのつやのある歌声は、登場した時から一頭際立っていた。テノールは彼しかいないのも幸いして、この人物の存在感は明らかだ。だが、エンツォは恋人を捨ててかつての女ラウラに簡単に乗り換えを図る。貴族の身分とそうでないジョコンダの身分には、そこに明らかな線が引かれている。

そのラウラとの愛の二重唱は、なかなかの聴かせどころで、さらにはラウラのアリアと続く。ここでジョコンダが登場すると、舞台は一転ラウラとの憎しみの劇へと変貌する。だが、ラウラのつけるロザリオを見て、それが母のものであると知ると、ジョコンダは恩人であるラウラを許さざるを得ない。ジョコンダの心理は右に左に揺れ動き、歌は上下に乱高下する。マリア・カラスのデビュー作品は、ジョコンダだったと覚えている人も多い、と解説は話す。

第3幕。ここでいよいよあの有名な「時の踊り」が用意されている。その前に司法長官アルヴィーゼ(バスのオルリン・アナスタソフ)による妻への、毒殺を命じるシーンがある。だが、ここでもジョコンダは葛藤しながらも、ラウラを許してしまう。彼女の毒を麻酔薬に取り替えるのだ。横たわるラウラを前に、いよいよバレエが始まる。

パリ・オペラ座のバレエ団は、ディズニー映画で有名になったこの音楽のために、特上の演技を披露した。舞台一列に階段上に姿を表した女性たちは、それまでになかったカラフルな色の衣装をまとい、中央の主役二人はほとんど何も身につけていない!3つの部分からなるバレエに見とれていること十数分。フランス風グランド・オペラの本家の放つ醍醐味を、これほど楽しんだことはない。割れんばかりの拍手とブラボーは、この陰惨なオペラにはちぐはぐでさえある。だが、このバレエを批判する人はいないだろう。

第4幕の聞き所は、なんといってもジョコンダのアリア「自殺」だろう。このアリアは私もどこかで聞いたことがある。そしてウルマーナの驚くべき演技!彼女はただ美しいだけの女性ではない。悲劇の主人公であると同時に、何か凄みのある宿命を負っている。そのことが良く合っている。彼女はエンツォの釈放と引き換えに自らの体をバルナバに売ることを約束してエンツォを助けるばかりか、息を吹き返したラウラとの逃避行を助ける。

これほどの犠牲をしてまで助けようとした彼女の母チエカは、しかしすでにバルナバによって殺されていたのだ!そのことを知ることもなく、ジョコンダは自ら命を断つ。

悪い奴と狡賢い奴が残り、敬虔で愛情の深い親子が共に死ぬ。ジョコンダは恋人と母親を同時に失うのだ。彼女はか弱い悲劇の主人公ではない。むしろ愛憎を表現し、やや屈折した性格ながら盲目の母親を助ける。そうまでしても生きようとし、最後には自害して果てるジョコンダの人生とは何だったのか。オペラを見終わった後数日間、私はそういうことを考え続けた。ヴェリズモの雰囲気、グランド・オペラの色彩、そして合唱。歌手は相当の力が要求される。しかも長い。様々な要素が入り込んだ「ジョコンダ」は、上演の難しさと込み入ったストーリーのせいで、上演回数は少ない。だからこそ、ビデオ上演の機会は嬉しい。同じことを考えた人も多かったのか、会場はそこそこの人の入りであった。満場のブラボーは何回ものカーテンコールを必要とし、あの素敵なバレエ団も再び舞台に上がって、このプロダクション総出演の成功を喜んでいるように見えた。

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