2013年11月9日土曜日
国鉄時代の鉄道旅行:第12回目(1986年3月)
大学入試が終わり合格発表までの間に、別の大学の入学金の締め切りがやってくる。このため第1志望の学校に合格する可能性があっても、もし不合格だったら入学する可能性のある第2志望の学校に、入学金を納めなくてはならない。この詐欺まがいの習慣のため、私は数十万円をバッグの中にしのばせ、東京の同じW大学に合格した予備校の友人2人と、夜行列車に乗って行く事になった。入学試験の時には新幹線で上京した私たちも、今回は時間が十分にある。しかも他にすることもない。2人は熱心という程でもないが、鉄道旅行が好きだということだったので、私たちは1泊で出かけることになった。
大学の入学手続き会場は9時頃に開くので、私たちは朝4時台に到着する大垣夜行に乗っても、6時間近くを東京近郊で過ごす必要があった。このため私たちは用事もないのに、開通したばかりの京葉線の始発列車に乗って、当時の終点だった千葉みなとまで行き、さらに引き返して南船橋から武蔵野線に乗って、満員の通勤電車を武蔵浦和まで。そこから埼京線に乗りかえて池袋に行くというマニアックな計画を立てた。これで高田馬場にある大学へは、朝ごはんを食べても一番に到着できる。帰りはいくらなんでも新幹線で、この時その後どのようにして時間をつぶしたかは思い出せない。
問題は大垣を出発する夜の10時頃まで、どうやって過ごすかということである。「青春18きっぷ」は日付が変わってから丸一日が有効なので勿体無い、ということになり、誰が決めたか忘れたが、丹後半島をローカル線の旅をしようということになった。大阪駅に集合した私たち4人は、たしかそのまま姫路に向かい、そこから播但線に乗って豊岡へ出た。この区間は結構な混み具合で、春とはいえ肌寒い中をコトコトと走る。窓ガラスが曇り、私も眠っていたと思う。
豊岡からは宮津線の乗り換え、丹後半島を一周する。現在は北近畿タンゴ鉄道というそうだが、当時は国鉄宮津線で、ここも結構混んでいた。峰山という一番大きな駅を通ったのを覚えている。ここは野村克也の生まれたところである。
終点の西舞鶴から舞鶴線で綾部に出て、そこからは京都まで山陰本線。これで夕方になった。どの線も結構な混雑で私はなんでこんなことをしているのだろうと虚しくなった。同行の連中もみなおしだまったまま、東海道本線に乗り換え、列車は夜の大垣に着いた。
大垣発の夜行普通列車は、このあとJRになってからも2回ほど利用している。1回目は大学3年生の春で、自動車運転免許取得のための合宿に向かう1990年の3月だった。私と高校時代の友人のU君は、山形県の赤湯温泉の宿舎に滞在することになり、やはり出費を抑えるべくこの列車を利用した。嬉しい事に朝一番の東北本線に乗ることで、福島から奥羽本線に乗り換えて午後には赤湯駅へ到着した。
その次は同じ1989年の7月であった。このときはインドへの海外旅行の出発時で、私が利用する航空会社の飛行機は成田空港発着だった。私は料金を安くあげる必要と、午前11時には空港へついていなければならないことなどからこの列車を利用したのだった。ただこの時は片道のみの利用だったから、私はグリーン車を利用した。
大垣夜行はこのようにJR時代になっても走っていたが、とうとう2009年には臨時列車となってしまった。愛称も「ながら」というもので、長良川からとった名称だとは思うが私には愛着を感じない。いやそもそも鉄道旅行という変な旅行も、私が大学に入るとあまりしなくなってしまった。高校生の時とは違って、ただ鉄道に乗るだけの旅行は、もはや楽しみではなくなった。加えて全国のローカル線が廃止の憂き目に合うことの寂しさがあ、このことを助長した。大学に入ると私は、かねてから行きたかった北海道へ旅行し、これがほとんど最後の鉄道旅行となった。国鉄最後の日は、私が大学に入学した日には、わずか1年後に控えていたのだった。
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