2013年11月7日木曜日

ヴェルディ:歌劇「オテロ」(1990年3月19日、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場)

アレクサンダー・ヴェルナーという人が書いたカルロス・クライバーの伝記「ある天才指揮者の伝記」には、この指揮者のすべての演奏の記録が詳細に記述されている。私はクライバーの演奏会を2度経験しているので、その項を図書館で借りて読んでみた。その一つが1990年3月のニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の「オテロ」公演である。

そこには当時の新聞評からの抜粋として、「メトロポリタン歌劇の長い偉大な歴史の中でオーケストラがこれほど緊張と興奮に満ち、感動的な演奏をしたのをだれも聴いたことはなかった」と書いてある。私はその5回に及ぶ公演のうちの最終回を、1階のオーケストラ席後方で見ることができたのだった。だが、これは幸運であった。

当時大学生だった私は卒業旅行と称してアメリカ各地を周り、最後には伯父の住んでいるニューヨークへ向かった。ボストンから乗るはずだったグレイハウンドのバスがストライキで運休となり、あろうことか満員で立つ人までいたアムトラックに5時間近く揺られてマディソン・スクエア・ガーデン近くのペンシルヴェニア駅に着いたのは、もう夕方だった。伯父が迎えにきてくれたが、彼は私をウェストチェスターの家に連れて行ってくれただけでなく、1週間以上にも及ぶ滞在を許してくれたのだった。伯父もクラシック音楽が好きで、単身赴任の間は毎日のようにコンサートに通っていたから、当時の出し物は把握していた。そして丁度その時にクライバーを迎えての、ゼッフィレッリ演出のヴェルディの歌劇「オテロ」を上演中だったのである。

一連の公演のうち最終回の日に、私はマンハッタンに出向き、伯父のはからいでリンカーン・センターに出かけた。もちろん席はすべて売り切れだった。クライバーは前年ロンドンで、やはり「オテロ」を指揮し、圧倒的な成功をおさめていた。この時の演出はモシンスキーであったが、歌手は同じだった。すなわちプラシド・ドミンゴの外題役、カティア・リッチャレッリのデズデモナ、それにフスティノ・ディアスのイアーゴという、豪華三役揃い踏みである。

伯父は劇場の前にたむろしていたダフ屋の一人に声をかけ、120ドルだったかの席を200ドルくらいで買ってくれたのだと思う。伯父はそのまま6番街のオフィスへ戻り、私は8時の開演時間を待った。人生二度目のオペラ体験は、ローマでの「トスカ」に続き何とクライバーの「オテロ」だった。

第1幕の冒頭でいきなり嵐のシーンが鳴り響き、一気にヴェルディの世界に引き込まれるこの歌劇は、ただでさえ迫力満点だが、何せクライバーである。私はストーリーもあまり知らず、当時のメトにはもちろん字幕などないにもかかわらず、ノックアウトされたような興奮に襲われたことを鮮明に覚えている。上記の書物によれば、クライバーが「竜巻の猛威」で「オテロ」を開始した時、ヴァイオリン奏者の女性は、「あおられて立ち上がらんばかりになった」。アンネ・ゾフィー・ムターもこの上演を見て「驚嘆に値します」と興奮気味に語っているという。

メトのオーケストラとクライバーはとても素晴らしい関係にあったことを、この伝記はまた伝えている。そしてクライバーは同じ1990年の秋に再びメトの指揮台に立ち、ジェームズ・レヴァインの計らいで「ばらの騎士」を指揮したことが記されている。だが、これがクライバーのニューヨークでの最後の公演となった。クライバーの「オテロ」は、ソニーが録音を計画しながらも、ドミンゴのスケジュールが合わなくて断念したことも、この伝記によって知った。私がクライバーを見たのもこの時が最後であった。

第3幕が終わったのは11時半を回っていた。ウェストチェスターに向かうメトロ・ノースの最終電車は、グランド・セントラル駅を12時半には出発する。このため私はカーテンコールもそこそこに地下鉄に飛び乗った。治安の悪さで悪名高いニューヨークの地下鉄も、ブロードウェイの劇場が一斉に跳ねる夜半前後だけは安全だと聞かされていた。私はドミンゴ、リッチャレッリとともにカーテンの前に姿を現したクライバーの記憶が鮮明に焼き付いている。だがその音楽は、興奮のあまりか、よく覚えていない。CDもDVDも発売されていないので確かめる術もないと諦めていた。ところが最近、YouTubeに全編がアップされていることを発見した。この映像を私は迷わずダウンロードし、大切にハードディスクとDVDに収録した。

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