もし私が音楽評論家か音楽家、あるいは少なくともドイツ文学の専門家なら、ワーグナーの大作「ニーベルングの指環」の演奏について、かなり慎重な書き方をするだろう。金字塔ともいうべきショルティ盤よりも、同じセッション録音ならカラヤン盤の方がいい、などというためには、それなりの論理の展開、理由付け、説得性を持つ言い方をしなければならない。だが、私はワーグナー初心者の単なるファンにすぎず、その経験も多くはないので、ここでは簡単に持論を展開できる。ブログのいいところである。
「指環」のセッション録音は、未だに2つしかない。それがウィーン・フィルによるショルティ盤と、ベルリン・フィルによるカラヤン盤である。デジタル録音が主流になる80年より前には、このほかにライヴ盤としてベームによるバイロイト盤があるだけで、この3組が常に議論の的となってきた。最近になって、ショルティより前にカイルベルト盤が正規録音されていたことが発掘されて、ビデオ盤のブーレーズと合わせれば計5種類が、この時代の録音ということになる。
この中で私はベーム盤のみ全集を持っているが、ショルティとカラヤンについても触れておかないわけには行かない。それがたとえ抜粋による「サンプラー」だったとしても、である。そして今回改めて聞き直してみても、私の結論はやはり変わらない。それはショルティ盤に比べ、圧倒的にカラヤン盤がいいのである。ショルティ盤が、どうしても「性に合わない」ということは先に書いたが、同じ音楽を少し聞き比べただけで、カラヤンの音楽づくりが比較にならないほどいいということがわかる。それを一言で言えば、音楽性がある、のである。
デッカがウィーンでの「指環」全曲録音を始めた時に、まだ若手だったショルティを起用したのは、これほどの長い時間を拘束でき、しかもプロデューサーの意向を反映させやすかったからであろう、と想像する。だがこの企画の最大の功績は、このことによってカラヤンが、ベルリン・フィルを使って自らの「指環」の全曲録音に乗り出したことだろう。マーラーの第9交響曲がバーンスタインのライブに触発されたように、このドイツの帝王は自分が常に音楽界の中心にいないことに我慢ができなかった。
カラヤンはイースターの時期にザルツブルク復活音楽祭を始めるのは「指環」を上演、録音するためだったと言っていい。60年代にはこの2つの企画が同時に薦められ、カラヤン盤はドイツ・グラモフォンから発売された。この2つのセットは、長年「指環」の2大横綱だったが、先行したショルティ盤の方が、往年の大歌手を揃えていることに加え、レコード会社の販売戦略も功を奏し、はるかに大きなポジションを占めている。
だが、私はカラヤンによる演奏が好きである。この抜粋版CDはわずか1枚に収められているので、1000円もしなかったが聞きどころ満載、このコンビの絶頂期が満喫できる。ザルツブルク音楽祭に合わせてひとつづつセッション録音されたため、歌手の一部は入れ替わっているが、統一的な音楽づくりによってカラヤン美学が堪能でき、違和感がない。
初めて聞いた時、私はカラヤンのワーグナーがこれほどにまで美しく心を打つことに感激した。他の演奏では感じなかった魅力が、この演奏には溢れている。力強いワーグナーも悪くはないが、心を落ち着けて聞く深い味わいは、上質のワインと料理のように、歌と音楽の見事なブレンドを醸し出す。ショルティ盤と違い、バイロイトを意識してか、少しエコーのかかったビューティフルな音色で統一されている。
ベルリン・フィルの豊穣で、かつ重くなりすぎない音楽が、もしかしたらこの録音の主役かも知れない。それも含めてカラヤン流で固めたワーグナーは、もし北海道の一軒家にでも移り住むことができれば、今日は「ラインの黄金」、明日は「ワルキューレ」などと毎日のように全曲を、朝から一日中鳴らして過ごしたい、などという夢のような思いを掻き立てる。 カラヤンがこの時期に「指環」を完成させていたことを神に感謝すべである。これはカラヤン芸術のひとつの頂点であると思う。
【収録曲】
1. 楽劇「ラインの黄金」より「ラインの黄金」
2. 楽劇「ヴァルキューレ」より「冬の嵐は過ぎ去り」
3. 楽劇「ヴァルキューレ」より「ヴァルキューレの騎行」
4. 楽劇「ヴァルキューレ」より「ヴォータンの告別」
5. 楽劇「ヴァルキューレ」より「魔の炎の音楽」
6. 楽劇「ジークフリート」より「溶解の歌」
7. 楽劇「ジークフリート」より「ブリュンヒルデの目覚め」
8. 楽劇「神々の黄昏」より「ブリュンヒルデ!聖なる花嫁」
9. 楽劇「神々の黄昏」より「ジークフリートの葬送行進曲」
ヴォータン:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、トーマス・ステュアート
ジークムント:ジョン・ヴィッカーズ
ジークリンデ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ
ジークフリート:ジェス・トーマス
ブリュンヒルデ:ヘルガ・デルネシュ
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
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