2013年11月12日火曜日

ワーグナー:「ニーベルングの指環」(抜粋)(ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、他)

ワーグナー・イヤーの今年、持っているワーグナーのCDをできるだけ聞いて書き留めておこうとしている。そしてとうとう「指環」の抜粋盤を取り上げる時が来た。その中に、レコード録音史上最大の遺産であるショルティの演奏を避けて通るわけには行かない。だが、そもそもこの演奏はそんなに素晴らしいのだろうか。これを書くことは大変な勇気がいる。他にも無数の人がコメントを書いているからだ。

以下は私が初めてこの抜粋版のCD(2枚組)を聞いた時に書いた文章だが、この時の感想に今もさほど違いがない。このときはあまり意識しなかった大歌手たちも、なぜか迫力に乏しいと感じているのは私だけかも知れないが。たとえば「ワルキューレ」におけるヴォータン役のハンス・ホッターも、第3幕ではまるでジルダを愛するリゴレットのようだし、相手のブリュンヒルデを歌うビルギット・ニルソンってこんな声だったのか?と思ってしまった。何せオーケストラが、あちこちから事あるごとにでっかく顔を出す。

さらには「ジークフリート」のタイトル・ロールを歌ったヴォルフガング・ヴィントガッセンも録音のせいか、時に弱く感じる。録音が時に音飛びがするような色あせも見えるし、それをものともしないショルティの終始強引な指揮は、それが一貫しているということを良さと考えるべきか、一本調子と考えるべきか悩む。

これはまだ「指環」をきっちり聴きこんでいない私の、現時点での感想である。歌手について、もう少し頑張って聞けば、理解が進むのかも知れない。けれども音楽の陶酔が得られない点はどうしようもない。アルコールの入っていない炭酸飲料のような録音は、隅々にまで明瞭で迫力も十分だが、ラインの川底であれワルハラ城であれ、同じ場所にいるように聞こえる。

----------------
クラシック音楽鑑賞を趣味とする者にとって、一生に一度は手を出さないわけには行かない録音というのがある。その代表例で、おそらく最高峰のひとつがショルティを起用してウィーンで行われた史上初のスタジオ制作の「指環」である(同様の「必聴盤」にはフルトヴェングラーの「第九」、ワルターの「田園」などがあるが、これらはどちらかというと我が国固有の現象である。ショルティの「指環」は世界的規模のそれであって、そういう意味ではカラスの「トスカ」などに相当するが、それらですら及ばない規模の企画であった)。

宇野功芳という音楽評論家がいるが、彼はその著書「宇野功芳のクラシック名曲名盤総集版」の中で、指環のCDを取り上げている。その中で推薦盤として、往年のクナッパーツブッシュやクラウスの演奏、あるいはベーム盤を取り上げるかと思いきや、わき目も振らずこのショルティ盤がいい、というのである(この本の面白さはその意外な推薦盤である。ちなみにこの時点でまだカイルベルトの正規録音は発売されていない)。

だがこの「リング」、批判を恐れずに言えば少し過大評価されているようにも思うのは私だけだろうか。その原因はひとえにショルティの指揮にある。彼は果たしてワーグナーに相応しい指揮者だったのか、ということである。

この演奏を聞くたびに、ワーグナーってこのような音楽だったのかな、と思う。独特の陰影に乏しく、メロディーの流れが自然に聞こえない。細部までクリアに聞こえるのは録音のせいだとして、それが自然に耳に馴染んでいかないのである。もっとも抜粋盤は、その中でも聴きどころを集めた、言ってみれば「プロ野球ニュース」のようなものだから盛り上がるシーンの連続とは言え、やや無理な興奮のしっぱなしかも知れない。これが何時間も続くとき、何かしっくりこないのである。歌手もぎこちなく歌いにくいのではないか。ドイツの深い森に入り込む雰囲気がしないのだ。酔わない、とでも言おうか。

ウィーン・フィルはここでも素敵だが「リング」の演奏がウィーン・フィルである必然性はない。ホルンの美しさなどはさすがだが、いつまでも浸っていたいような音色ではない。なんとなくうるさすぎるので、歌手の声に集中できないことがある。第一級のワーグナー歌手を揃えているし、それがこの録音の魅力であるのだが、それが引き立つかと言えば、私の聴き方が悪いのかもしれないが、カラヤンやベームの録音に軍配が上がる。

カイルベルトによる55年の正規録音は、世界初とされていたこの「指環」のステレオ全曲録音の存在を曇らせるものだった。実際、このカイルベルト盤はほとんど試行段階のステレオ録音ながらその音色は色あせていない。だが発売間もないCDで高価である上、抜粋盤も出ていないようだ。

話をショルティ盤に戻すと、このディスクがやはり世評の高いものであるとするなら、私にとっては「性に合わない」という結論になるのではないかと思う。ショルティの指揮がダイナミックで、特に「神々の黄昏」では物凄い盛り上がりを見せる(このメイキング・ビデオも発売されていた。モノラルのBBCドキュメンタリーで、ショルティはチャンバラ映画を早送りしたような身振りでウィーン・フィルを奮いたたせている)。

歌手、ウィーン・フィル、そして独特の効果音を散りばめた録音芸術の集大成を敢行したプロデューサーのカルショウ、と他の追随を許さない魅力があることは確かだが、ワーグナーに必要な何かが欠如していると思えてならない。ショルティはバイロイトに招かれたが、わずか1年しか指揮台に立たなかったことが思い起こされる。

結論的言えば、デジタル以前に録音された「リング」に関する限り、独自の洗練をみせるカラヤンを別格にすれば、ワーグナーの自然で十分に熱狂的な演奏は、ベームのライヴ盤に勝るものがないのではないだろうか、ということになる。

以上が抜粋盤を聞いた現時点での私の総括である。それぞれにそれぞれ特徴のある「リング」のディスクも、デジタル録音や映像が主流となる80年代以降の分を合わせて考慮すると、状況はより複雑となる。ただ「指輪」ともなるとどの演奏を選んでもきっちりと念入りに作成され、それなりの評価を持っているので飽きるということはない。ショルティの演奏も、それをどう評価するかは、一通り聞いてみた後でないと決められないし、もしかするとより多くの魅力を見逃している可能性もある。

【収録曲】

1. 楽劇「ラインの黄金」より「前奏曲」、「ヴァイア・ヴァーガ」
2. 楽劇「ラインの黄金」より「ヴァルハラ城への神々の入城」
3. 楽劇「ヴァルキューレ」より「冬の嵐は過ぎ去り」
4. 楽劇「ヴァルキューレ」より「ヴァルキューレの騎行」
5. 楽劇「ヴァルキューレ」より「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」
6. 楽劇「ジークフリート」より「鍛冶の歌」
7.楽劇「ジークフリート」より「森のささやき」
8. 楽劇「神々の黄昏」より「ジークフリートのラインへの旅」
9. 楽劇「神々の黄昏」より「ジークフリートの葬送行進曲」
10. 楽劇「神々の黄昏」より「ブリュンヒルデの自己犠牲」

ブリュンヒルデ:ビルギット・ニルソン
ジークフリート:ヴォルフガング・ヴィントガッセン
ヴォータン:ハンス・ホッター
ミーメ:ゲルハルト・シュトルツ
ジークムント:ジェームズ・キング
ジークリンデ:レジーヌ・クレスパン

ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

0 件のコメント:

コメントを投稿

ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102(Vn: ルノー・カピュソン、Vc: ゴーティエ・カピュソン、チョン・ミュンフン指揮マーラー・ユーゲント管弦楽団)

ブラームスには2つのピアノ協奏曲、1つのヴァイオリン協奏曲のほかに、もう一つ協奏曲がある。それが「ヴァイオリンとチェロのための協奏曲」という曲である。ところがこの曲は作品番号が102であることからもわかるように、これはブラームス晩年の作品であり(54歳)、すでに歴史に残る4つの交...