新聞を読んでいたらクルト・マズア氏が死去したことを知った。享年88歳。マズアは私にとっても何度かのコンサートで接した指揮者である。印象に残っているのは大阪ザ・シンフォニー・ホールでのベートーヴェン・チクルス。ゲヴァントハウス管弦楽団を率いて来日した89年秋のことである。私は立見席を買い、連日1階席最後部で「英雄」や「田園」を聞いた。
マズアは東ドイツの指揮者だったが、一連の東欧の民主化後にはニューヨーク・フィルの指揮者に就任したことは驚いた。私は95年から96年にかけてニューヨークに住んでいたが、このときに聞いたいくつかの定期演奏会で、マズアの指揮に接している。もっとも印象に残ったのは、ハーレムの少年合唱団と共演したオルフのカンタータ「カルミナ・ブラーナ」である。「このライブ録音が出たら買ってもいい」と当時の日記には書いてある。
マズアは大きな体をゆすりながらも指揮棒は持たない。リズムは遅くはなくむしろ快速であり、オーケストラはとてもきれいな音がする。ニューヨークの厳しい批評にさらされながらも常任指揮者の期間は10年以上にも及んだ。他の演奏会では、来日した際に大宮で聞いたニューヨーク・フィルの公演も思い出に残る。マズアの奥さんは日本人で、彼は時々来日し、練馬あたりの住宅街で見かけると聞いたこともある。
そのマズアのCDは私も何枚か持っているが、お気に入りはベートーヴェンの交響曲第5番とカップリングされた劇音楽「エグモント」である。「エグモント」は序曲だけが極めて有名で、全曲を通して演奏されることは少なく、録音に至っては昔、ジョージ・セルがウィーン・フィルを指揮した一枚があるだけといった状況が続いていた。私もこの演奏が好きだったが、ほかの演奏を知らないので比べようがない。だがあのベートーヴェンがゲーテの作品に音楽をつけたというだけで興味が湧くではないか。劇音楽「エグモント」の新譜が目に留まり、ハ短調の演奏も悪くないことを知って迷わず買った。
「エグモント」は序曲と9つの付随音楽からなる。
1.歌曲「太鼓が鳴る」 Die Trommel gerühret
2.間奏曲Ⅰ
3.間奏曲Ⅱ
4.歌曲「喜びに溢れ、また悲しみに沈む」Freudvoll und Leidvoll
5.間奏曲Ⅲ
6.間奏曲Ⅳ
7.クレールヒェンの死
8.メロドラマ「甘き眠りよ!お前は清き幸福のようにやって来る」Süßer Schlaf
9.勝利のシンフォニア
特にソプラノによって歌われる「太鼓が鳴る」と「クレールヒェンの死」は有名だが、それ以外のオーケストラによる部分も私は好きだ。歌劇「フィデリオ」もそうだが、ベートーヴェンらしい音楽が無骨に長々と響くのに飽きない人は、どちらも好きになれるだろうと思う。この曲は、歌劇「フィデリオ」を好きになるかどうかを気軽に試す曲だと勝手に決めている。
劇はオランダにおける独立運動、あるいは祖国愛に満ちた英雄の物語。いかにもベートーヴェンが好みそうなストーリーである。スペインの圧政に苦しんでいたネーデルランドの開放を求め、不屈の精神で立ち向かうのだ。1809年、すでにベートーヴェンは交響曲第5番、第6番「田園」を書き終えていた。もっとも充実したころにこの曲は作曲されたことになる。
終曲で序曲のコーダ部分が再現される。これは勝利のシンフォニーである。序曲の充実した曲が好きな人は、きっと全曲を聞くのが楽しいだろう。なおこの演奏はライヴ録音である。マズアはニューヨークとの一連の演奏をライブで収録している。いやニューヨーク・フィルというのは今ではライブ勝負しかしないようなオーケストラだ。おそらくプレーヤーの単価が高いので、スタジオ録音は収支に合わないのだろうと思う。マズアは共産圏出身の指揮者だが、こういう街のオーケストラで十分やっていくだけの野心とモダン性(資本主義精神)を持ち合わせていたようだ。
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