2017年2月18日土曜日

ヴェルディ:歌劇「ナブッコ」(The MET Livein HD 2016-2017)

ヴェルディが大作曲家として成功する最初のきっかけとなった29歳の時のオペラ。その序曲が流れ始めた時、私はまたいつものように胸に熱いものがこみ上げてきた。この作品を見るときは、序曲とそれに続く合唱の、情熱と迫力に満ちた圧倒的な音楽に、しばし心を奪われる。私は、まだベルカントの様式を残した初期のヴェルディ作品が好きだが、この作品にはすでにヴェルディにしかない音楽の量感といったものが宿っていて、私をさらに虜にさせている。

レヴァインは序曲をあくまでたっぷりと、メロディーを大切にしながら悠然と指揮をする。続く第1幕でも、その流れを変えることはない。歌手の方が緊張して、どうもぎこちないのだが、それでもレヴァインは確信的に自分の指揮を貫く。観客は歌手の力んだ姿と、実力を出せばもっと素晴らしい歌を歌うことを知っているのだろう。ブラボーはいわば歌手に対する応援であり、その日にチケットを買って足を運び、時間を共有する自分も脇役とばかりに声援を送ろうと精一杯の努力を惜しまない。するとどうだろう。第3幕に至っては、見違えるような表現になっていくではないか。オペラをライブ映像で見る楽しさは、まさにこういうところにあるのだろうと思う。歌手も聴衆も、聞きどころをわきまえている。

例えばナブッコの娘でありながら奴隷の身分であるアビガイッレは、ソプラノのリュドミラ・モナスティルスカによって歌われ、その超絶的な高低差を行き来するアリアの数々はまさに見どころであるが、第1幕の「私はあなたを愛していました」を歌う時点ではまだ硬く、どうも緊張の糸が解けない感じが見て取れた。しかし第2幕で「かつて私も」の部分を歌い、その際のブラボーが彼女を勇気づけたのであろう。第3幕になってナブッコを押しのけて王座に就き、まるで北朝鮮の某書記長を思わせるような傍若無人極まりない強硬策を宣言するあたりは、なかなか迫力に満ちたものである。

このシーン、すなわちナブッコと立場が完全に入れ替わる場面では、ナブッコを演じたプラシド・ドミンゴの圧倒的な見せ場であった。彼はそういうアビガイッレに跪き、娘のフェネーナ(メゾソプラノのジェイミー・バートン)を助けてくれと懇願する二重唱に、全精力の大部分を費やすことを計画していたに違いない。バリトン役を歌うことでドミンゴは、七十代も半ばだと言うのにレパートリーを拡大し、しかもその精力は衰えるどころか、いっそう磨きがかかっている。

ヴェルディの作品は常に男の弱さを浮き彫りにする。どんなオペラでも男は弱く、繊細である。力強い音楽が時に三拍子で迫りくる印象的な場面の数々も、たった一度のアリアが珠玉のように光彩を放つ。その対比こそ、イタリア文化の象徴のような気がする。つまり一見陽気で明るくも、センシティブで涙もろい。レヴァインとドミンゴという、七十代のコンビにしてこの若きヴェルディの作品は、得も言われぬ貫禄を宿すことになった。

「行け、我が想いよ」のコーラスは慣例により、鳴り止まぬ聴衆に応えてアンコールされた。この様子は発売されているビデオ等でも見ることができ、今回も同じエライジャ・モシンスキーのオーセンティックな演出であることを知っていれば、意外ではない。だが、初めてこの作品のアンコール部分を見ると、この合唱がいつまでも続いてほしい至福の時間であることを実感した。2度目の合唱では優秀なメトの合唱団が、一層リラックスして表情豊かにメロディーを表現したからだ。最近は繰り返さない(原典主義の)演奏が多いが、私はこういう興業的サービスには大賛成である。

その他の男声陣、イズマイーレを歌ったテノールのラッセル・トーマスは、出来栄えで言えばもっとも完成度が高いと思われたが、この作品では女声陣の陰に隠れてしまうし、ザッカリーア(バスのディミトリ・ペロセルスキー)にしても同様である。

ナブッコは2001年になるまでMETの舞台には登場しなかった。だがレヴァインによってこのオペラは、METの代表的なヴェルディ作品の一角を占めるにいたったようだ。それも、ともすればぎこちないストーリーと、やや粗削りな音楽を完璧なまでに覆い隠してしまうほど圧倒的な力を引き出すことに成功したからだろうと思う。なお偶像が崩れ落ちるシーンは、このオペラの数少ない視覚的見せ場だが、下手をするとやや俗っぽい。そのためか、この演出であまり目立たない。結果的に全体のメリハリを感じさせなくすることとなり、音楽とストーリーを良く知っている人にはアピールするものの、もしかしたら初めて見る人には少し物足りない感じがしたかも知れない。

ヴェルディの初期作品は、そういう意味で見れば見るほど味わいが深まるような気がする。だから私はこの夏に行われるであろうリバイバル公演でも、再度味わってみたいと思った。長すぎないのもいい。そして何度も繰り返すように、この公演の見どころは、2017年にもなっていまだに現役の二人、すなわち今や車いすに乗った指揮者ジェームズ・レヴァイン(音楽監督)と、貫禄のあるプラシド・ドミンゴの表題役であることにつきる。彼らは40年以上に亘って競演を続けてきた。ゲルブ総裁による幕間のインタビューに、その深い年輪を感じる取ることもできる。

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