3泊4日の短い台湾旅行記を終えるにあたり、帰国後に見た台湾映画「KANO」(邦題「KANO~1931海の向こうの甲子園」)について触れることにしたいと思う。KANOは「かのう」と読む。嘉儀市という台湾中部の都市にある農業学校のことである。嘉儀農林というその高校(正確には旧制中学)は戦前に4回甲子園に出場した。毎年春夏に行われる中等学校野球選手権大会に台湾代表として出場したのだ。そのうち1931年には準優勝をしている。
この中学の野球部を率いたのは日本人の近藤監督で、彼は名門松山商業を率いた監督でもあった。映画はこの中学の出身者が日本兵として戦争に取られ、そのわずかな合間に故郷を訪れるシーン(だったと思うのだが・・・)から始まる。なぜ近藤監督が台湾の農業中学に赴いたのか?
この映画は戦争映画かと思いきや野球の映画である。前半の甲子園に出場するまでの記録だけで2時間近くもあり、その内容から後半は悲しい話かと思いきや、実に甲子園出場を決めた彼らが活躍するそのシーンが最後まで続く。野球自体をほとんど知らず、従って地元でも一度も勝ったことのないチームを近藤監督は鍛え上げ、地元に錦を飾るのである。したがってこの映画の主要なシーンはほぼ野球である。だがその背後に一貫して流れるテーマを、すべて野球に光を当てることであえて何も主張させようとはしない。そこがこの映画の綺麗なところだ。
その一貫して流れるテーマは、台湾人(の中には少数民族も含まれる)と日本人がそれぞれの長所を発揮し、共に野球を戦うことで融合し、共通の目的を果たしたという、表面的なことでだけではない。この映画の全編に流れるノスタルジーにも似た美しさは、今の台湾がこういう時代を経た結果としてあるのだという事実を思い起こさせようとする。それは戦後生まれのすべての台湾人に向けたメッセージでもあるのだ。台湾の歴史を振り返ろうとするとき、現在の台湾を台湾らしくしているものひとつに、日本統治時代の遺産がある、という主張である。このことはおそらく外省人、すなわち戦後に台湾に移り住んだ人々に対し、野球というフィルターを通して一貫して語りかけている。
日本の統治時代を、こんなに美しく描いたものもないのではないかと思うと少し違和感も感じる。映画を通じて語られれている野球以外の要素は、豊富な雨量と湿潤がもたらす自然の恵みだろう。農業の近代化こそ大日本帝国における台湾統治の大テーマであったことは想像に難くなく、戦時中の食糧基地として台湾を近代化することが決定的な生命線であった。だがそのようなことは正面切っては語られない。
嘉儀市の農業中学に多くの日本人が移住し、台湾農業の近代化を進めた。軍国時代の産物であったとは言え、その効果は過小評価すべきではない。そしてもう一つの近代化の遺産が教育であったのだろう。すなわち嘉儀農林の活躍は、台湾にももたらされた民主的教育の成果でもあったという主張である。この二つ、すなわち農業と教育の近代化がなければ、90年代にはいってからの台湾の成長はなかったとさえ思われる。
だがこの映画は、そのことを隠れたテーマとして描きつつも、野球の映画に終始する。最後に甲子園の決勝で敗れた彼らは台湾へ凱旋帰国する。そこで活躍したラインナップの面々の、その後の人生について簡単にテロップで紹介される。その中には戦後の日本や台湾野球界だけでなく、様々な分野で活躍した人々が大勢いる。台湾映画史上破格の製作費を投入したこの映画は2015年に公開され、大ヒットを記録した。だから私が今回搭乗したTigerAirというLCCの広告に「甲子園博物館」が大きく出ていた理由がわかった。
日本人として。
この映画で近藤監督は、一貫して選手に「泣くな!」と言いつける。いつも言われてきたことだった。決勝で敗れた選手は「いつ泣いてもいいのですか」と監督に聞くのだ。なのに監督は「泣くな!」と怒鳴る。自分も泣いているというに。こういうシーンは、今ではほとんど見ることができなくなったな、と思った。精神主義を賛美したいのでは決してない。常に理性が勝る人でなければならないという、今では忘れ去られたような一貫した主張に、毅然たる思いにさせられたからだ。
LCCを利用した初めての台湾旅行は、帰りの航空機が4時間以上も遅れるというハプニングの結果、未明の羽田に到着するという事態で幕を閉じた。帰りの飛行機はわずか2時間半の旅程であった。だが年末年始の日本と台湾は、稀にみる晴天続きで、そのことが一層私の台湾の印象を心地よいもののした。
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