マンハイムを経由してパリに出かけたモーツァルトは、1779年失意のうちに帰国し、再び暗黒のザルツブルクでの生活に戻らなければならなたった。理由はふたつある。ひとつは同行した母が死亡したことである。もうひとつは就職活動の失敗である。決して順風満帆だったとは言い難いモーツァルトの苦悩の始まりは、この頃からではないだろうか。
ザルツブルクでの最後の数年のうちに、モーツァルトは3つの交響曲を作曲している。第32番から第34番である。このうち第32番は単一楽章の3部形式だが、これを含めこの3曲にはメヌエットがないという共通の特徴がある。だが音楽的な規模は充実しており、これはやはりマンハイム、そしてパリでの音楽的成果と言えるだろう。
これらの曲は、まるで哀しみを払拭するかのようにいずれも明るい曲調に支えられてはいるが、ふとした拍子にどこかの仄暗さを見せるモーツァルトの特徴が表れ始めている。例えば、この第33番の第2楽章がそうである。 弦楽器の淡々とした旋律のなかに、オーボエとファゴットのみによるメロディーなどがそうだと思う。曲にもともと派手さがなく、控えめなのだが、成熟した落ち着きもまたある。
第3楽章の、まるで初春の風が頬を撫でるようなさわやかさは何といったらいいのだろうか。躍動感を持ちつつも流れるメロディーは、何やらシューベルトを思わせると言ったら言い過ぎだろうか。オトマール・スイトナーの東独時代の演奏は、当時としては珍しい全集だったと記憶しているが、この演奏のいぶし銀の輝きは今もって色あせてはいない。どの曲を聞いてもその完成度の高さは、あらゆる意味で最高の部類に入ると思われる。
なお、第3楽章メヌエットは後年、ウィーンでの演奏の際に書き加えられた。交響曲は4楽章構成が定着していく頃である。
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