モーツァルトの交響曲第35番は、ウィーンにおいて1782年に、かねてから親交のあったハフナー家のために作曲され、その後予約演奏会で演奏された。モーツァルトがハフナー家のために作曲したのは、この交響曲に先立つ6年前、ザルツブルクにおいて作曲された「ハフナー・セレナーデ」が知られている。実は本作品も当初はセレナーデとして作曲されたが、いくつかの楽章を取り除き交響曲に仕立てた。冒頭の2オクターブものレンジで和音が壮大に響くことが象徴的であるように、この交響曲は以降に続く6曲の交響曲作品の最初を飾る幕開けでもある。
これまで若い頃の交響曲作品を聞いて来たが、いよいよ最後の6つのシンフォニーについて書くときがやってきた。これらの作品はいずれも極めて充実した、大変な名曲で非の打ちどころがない。数多くある録音も、高い曲の完成度の前には、語る言葉も失くしてしまう。けれどもモーツァルト作品は案外、演奏を選ぶ傾向もあるようで、各作品について私が最大限惚れ込む演奏は、それぞれ数種類しかない。現時点での極め付けの演奏を、各曲1種類に絞って取り上げたいと思う。
交響曲第35番「ハフナー」は、コリン・デイヴィスが指揮したシュターツカペレ・ドレスデンで。記憶が正しければ、デイヴィスはこれ以前に、モーツァルトの交響曲を録音していない。従ってこれが最初で最後の演奏だと思われる。80年代に入って古楽器奏法が過去の演奏を駆逐してゆき、90年代になるとほぼすべてがそのような奏法か、またはその影響を受ける演奏となった。デイヴィスとドレスデンの伝統的なオーケストラは、そうなる直前、迫りくる新しい潮流に一切見向きもせず、ただひたすらに従来の奏法に磨きをかけることを貫いた。
第1楽章の重厚なテーマに圧倒され、音が音に重なっていくものの、推進力は程よい速さを保つ。ドイツの響きがずっしりと重みを維持し、弦楽器が敷くえんじ色の絨毯の上を、管楽器が舞う。陰影を含んだいぶし銀の響きは、第2楽章のアンダンテにおいて真価を発揮する。ここの第2楽章は、私が非常に愛するメロディーで、この曲を聞くときはまず第2楽章を聞くくらいだ。このワン・フレーズを聞くだけで、モーツァルトにしか兼ねなかった均整の取れた麗しさを私は感じる。
第3楽章メヌエットは第1楽章と同様に力強く、もう付け足しの楽章という雰囲気はしない。中間部においては、しっかりとリズムを刻むデイヴィスの演奏により、充実感に満たされてゆく。素晴らしく均整の取れた造形美。しかし続く第4楽章は、意外にも早く終わってしまう。その尻切れトンボのようなものが、もしかしたらこの曲を少し不幸にしているのかも知れない。たくさんの仕事を抱えて、作曲を急いだモーツァルトが手を抜いたわけではない。ただ、完成した作品を見直す暇はなかったのだろう。それでもこれだけの完成度があるのだから驚くばかりだ。私はいまだに、この曲を実演で聞いたことがない。滅多に取り上げられないのも事実である。
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