2020年2月25日火曜日

モーツァルト:交響曲第34番ハ長調K338(リッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

ティンパニを加えたハ長調のモーツァルト作品は、壮大にして豪華である。最後の交響曲「ジュピター」がそうであるように、この作品もまた力強い出だしで始まる。トランペットも加わり、アレグロ・ヴィヴァーチェとは言えたっぷりと音域の広さを活かしつつ、クレッシェンドをしていく。独特の下降するメロディーと音程の開きの大きな旋律は、モーツァルトを聞く楽しみを堪能できる。交響曲第34番は、その後に続く豪華な六大交響曲の前にあって、隠れた存在である。けれどもその音楽は実に豊かである。

この作品が目立たない存在に甘んじてしまったもう一つの理由は、これがザルツブルク時代に作曲された最後の作品だからだろう。けれどもこうして順に作品を聞いてくると、モーツァルトがマンハイムを経由してパリに出かけた成果が見て取れる。第28番から第30番までの交響曲とは異なる雰囲気を、第32番以降の作品は持っている。ここには成熟したモーツァルトがいる。

リッカルド・ムーティはウィーン・フィルを指揮して主要な交響曲を録音しているが、その中には第34番以前の作品も含まれている。しかも雑なレヴァイン盤とは異なり、自信に満ちた力強いイタリア風の統率がウィーン風に同化して、魅力的な演奏となっている。第2楽章のアンダンテは、その9分にも及ぶ長い楽章を、弦楽器のみでエレガントに聞かせる。これこそウィーン・フィルの真骨頂だが、この艶があるもののややくすんだ音色は、嫌いな人もいるかも知れない。

いっときは付けられていたメヌエットは、作曲家によって省かれた経緯がある。第3楽章は再びアレグロとなって、8分にも及ぶ長いソナタ形式が続く。力強く疾走する音楽は、いつまでも聞いていたい気分にさせられる。ここにはもう紛れもない、あのモーツァルトの音楽が鳴っている。

こう見てくると、交響曲第31番「パリ」というやや異色の作品を挟んで、同じザルツブルク時代でも十代の頃の作品と二十代になってからの作品の違いがよくわかる。ケッヘル番号で言えば300番台の作品は、そのような青年モーツァルトのもっとも充実した作品群であることを思い出す。あの「イドメネオ」もこの頃の作品である。

モーツァルトは自分の音楽が、今や世界に通用するものとして確立したと自覚したに違いない。そのような自信は、ついにザルツブルクを去る決意につながる。従属した地位に甘んじるくらいなら、フリーランスとしても自立できるのではないか。時はまさしくフランス革命の前夜である。天才を自覚した若い青年は、解雇のリスクも承知でとうとう出張先のウィーンに単身残る決意をする。この作品が作曲されてからわずか半年あまりのことである。

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