ティンパニを加えたハ長調のモーツァルト作品は、壮大にして豪華である。最後の交響曲「ジュピター」がそうであるように、この作品もまた力強い出だしで始まる。トランペットも加わり、アレグロ・ヴィヴァーチェとは言えたっぷりと音域の広さを活かしつつ、クレッシェンドをしていく。独特の下降するメロディーと音程の開きの大きな旋律は、モーツァルトを聞く楽しみを堪能できる。交響曲第34番は、その後に続く豪華な六大交響曲の前にあって、隠れた存在である。けれどもその音楽は実に豊かである。
この作品が目立たない存在に甘んじてしまったもう一つの理由は、これがザルツブルク時代に作曲された最後の作品だからだろう。けれどもこうして順に作品を聞いてくると、モーツァルトがマンハイムを経由してパリに出かけた成果が見て取れる。第28番から第30番までの交響曲とは異なる雰囲気を、第32番以降の作品は持っている。ここには成熟したモーツァルトがいる。
リッカルド・ムーティはウィーン・フィルを指揮して主要な交響曲を録音しているが、その中には第34番以前の作品も含まれている。しかも雑なレヴァイン盤とは異なり、自信に満ちた力強いイタリア風の統率がウィーン風に同化して、魅力的な演奏となっている。第2楽章のアンダンテは、その9分にも及ぶ長い楽章を、弦楽器のみでエレガントに聞かせる。これこそウィーン・フィルの真骨頂だが、この艶があるもののややくすんだ音色は、嫌いな人もいるかも知れない。
いっときは付けられていたメヌエットは、作曲家によって省かれた経緯がある。第3楽章は再びアレグロとなって、8分にも及ぶ長いソナタ形式が続く。力強く疾走する音楽は、いつまでも聞いていたい気分にさせられる。ここにはもう紛れもない、あのモーツァルトの音楽が鳴っている。
こう見てくると、交響曲第31番「パリ」というやや異色の作品を挟んで、同じザルツブルク時代でも十代の頃の作品と二十代になってからの作品の違いがよくわかる。ケッヘル番号で言えば300番台の作品は、そのような青年モーツァルトのもっとも充実した作品群であることを思い出す。あの「イドメネオ」もこの頃の作品である。
モーツァルトは自分の音楽が、今や世界に通用するものとして確立したと自覚したに違いない。そのような自信は、ついにザルツブルクを去る決意につながる。従属した地位に甘んじるくらいなら、フリーランスとしても自立できるのではないか。時はまさしくフランス革命の前夜である。天才を自覚した若い青年は、解雇のリスクも承知でとうとう出張先のウィーンに単身残る決意をする。この作品が作曲されてからわずか半年あまりのことである。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102(Vn: ルノー・カピュソン、Vc: ゴーティエ・カピュソン、チョン・ミュンフン指揮マーラー・ユーゲント管弦楽団)
ブラームスには2つのピアノ協奏曲、1つのヴァイオリン協奏曲のほかに、もう一つ協奏曲がある。それが「ヴァイオリンとチェロのための協奏曲」という曲である。ところがこの曲は作品番号が102であることからもわかるように、これはブラームス晩年の作品であり(54歳)、すでに歴史に残る4つの交...
-
現時点で所有する機器をまとめて書いておく。これは自分のメモである。私のオーディオ機器は、こんなところで書くほど大したことはない。出来る限り投資を抑えてきたことと、それに何より引っ越しを繰り返したので、環境に合った機器を設置することがなかなかできなかったためである。実際、収入を得て...
-
当時の北海道の鉄道路線図を見ると、今では廃止された路線が数多く走っていることがわかる。その多くが道東・道北地域で、時刻表を見ると一日に数往復といった「超」ローカル線も多い。とりわけ有名だったのは、2往復しかない名寄本線の湧別と中湧別の区間と、豪雪地帯で知られる深名線である。愛国や...
-
1994年の最初の曲「カルーセル行進曲」を聞くと、強弱のはっきりしたムーティや、陽気で楽しいメータとはまた異なる、精緻でバランス感覚に優れた音作りというのが存在するのだということがわかる。職人的な指揮は、各楽器の混じり合った微妙な色合い、テンポの微妙あ揺れを際立たせる。こうして、...
0 件のコメント:
コメントを投稿