モーツァルトの交響曲は、番号付きのものだけで41曲、その後発見されたり、断片のみのものも含めると50曲を超える作品が残っているようだ。特に初期の作品については、必ずしも番号順に作曲されたわけではない上、滅多に聞くものでもなく、どの作品がどれなのかよくわからなくなる。ニクラウス・アーノンクールは、どうでもいいようなフレーズにも命を吹き込み、さぞ意味ありげな作品のように演奏する天才指揮者だったが、彼の残した初期交響曲集(CDにして全5枚、その中にはモーツァルト父子の手紙の朗読も含まれる)として過去に取り上げた。
この初期交響曲集には「小ト短調」として知られる交響曲第25番K183も含まれており(この作品も単独で取り上げた)、概ねケッヘル番号で言えば200番あたりまで、作曲年代で言えば1773年、モーツァルト17歳あたりまでが収録の対象となっている。翌1774年には、現在第28番ハ長調K200、第29番イ長調K201、第30番ニ長調K202として知られる交響曲が作曲されている。
交響曲に関していえば、その後1778年に第31番ニ長調K297(300a)が作曲されるまで少しの空白がある。ザルツブルクを離れてマンハイムに赴く頃のことである。モーツァルトの音楽が最初に大きく羽ばたくきっかけが、このマンハイム時代ということになる。
この交響曲の副題は「パリ」と呼ばれているが、これはパリの演奏団体コンセール・スピリチュエルからの依頼に基づくものであることが、その理由である。この時作曲された第2楽章は、その後依頼主のル・グロの要請により書き直しを行ったため、2つのバージョンがある(通常は書きなおした版で演奏される)。さらにこの作品で指摘すべき事項としては、初めてクラリネットを完全2管編成で使用している点である。これもコンセール・スピリチュエルの規模に合わせて作曲したからだと言われている。
つまりこの作品は、モーツァルトの交響曲の中でも規模の大きな最初の作品ということになる。この作品でモーツァルトの管弦楽作品は、ひとつの飛躍を見た。私たちが通常聞くモーツァルトの交響曲と言えば、「小ト短調」K183を例外として第31番「パリ」からということになり、従って録音される機会も数多い。
第1楽章はアレグロで、いきなりティンパニを伴った大規模な上昇フレーズでスタートする。序奏なしの主題は、派手好きであるパリの聴衆にインパクトを与えるに十分だった。この初演は大成功になる。私も一度聞いたら忘れられない作品だと思った。若いモーツァルトの生き生きした旋律が堪能できる作品である。
2つのバージョンがある第2楽章アンダンテも、非常に味わいがある。今では古楽器風の骨と皮だけになった演奏が主流だが、この曲はしっとりと昔風の演奏で味わうのも良い。第3楽章(終楽章)はアレグロで、再び快活な音楽となって明るく終わる。
私が愛聴している「パリ交響曲」のCDは、クラウディオ・アバドがベルリン・フィルを振った1992年の演奏を収めたものである。このCDには、初稿の第2楽章アンダンテが付いている。最初に聞いた時には、通常の3楽章が終わってもまだ緩徐楽章が続くので、違う作品かと思った。この第2楽章は比較的地味で、第2稿とはかなり違う印象を残す。私はどちらかと言えば第2稿を好むが、モーツァルトは要望を聞き入れて作曲しなおしたこともあってか初稿を気に入っていたようだ。
アバドの演奏はベルリン・フィルの機能美を活かしてダイナミックに指揮をしている。と同時に新鮮なところも多く、初めて聞くような魅力も味わえる。それはカップリングされた「フリーメーソンのための葬送音楽K477(479a)」や、同じくマンハイム時代を代表する大編成の「ポストホルン・セレナーデK320」(第1, 5, 7楽章を抜き出した交響曲としての演奏)についても同様である。特に前者などは、聞き古したワルターの演奏などに比べ、すっきりとしていると同時に深みのある演奏で、新たな魅力を私に与え続けており、何度聞いても美しい名演だと思う。
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