2020年4月17日金曜日

ベートーヴェン:ミサ曲ハ長調作品86(ヘルムート・リリング指揮シュトゥットガルト・バッハ・コレギウム他)

晩年の大作「荘厳ミサ(ミサ・ソレムニス)」の陰に隠れているためか、ベートーヴェンのもう一つのミサ曲ハ長調作品86については、ほとんど接する機会がない。だが珍しいことに、私自身のコンサートの記録を見ると、過去に一度この曲の実演を聞いている。1993年春、NHK交響楽団の定期公演で、指揮はクラウス・ペーター・フロールだった。昔のコンサートでは、聞いた事実さえ忘れてしまっているものも多いので、この演奏会は少しは記憶に残っていたようだ。50分くらいの曲だからプログラムの後半に置かれ、前半にはメンデルスゾーンの劇音楽「真夏の夜の夢」序曲とモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番「トルコ風」を聞いている。こちらの記憶はまったくない。

序奏はなくいきなり「キリエ」の合唱から始まる。桜の花もすっかり散った陽気な春の陽射しの中を、私はいつものように近くの運河沿いの小径を散歩している。今年は新型コロナウィルスの影響で、街中が閉鎖されたような空間に成り果て、道行く人もまばら。まるでバブル発生前の80年代に時代を逆戻りさせてしまったかのような静かな中を、何とも言えないような気持になりながら、ひとり歩いている。このような心境の中に「キリエ」が静かに響く。

「グローリア」と「クレド」はいずれも大曲である。「キリエ」が5分くらいの長さなのに対し、それぞれ10分程度もある。「グローリア」と「クレド」はいずれも後半で、それまでとは違った雰囲気になる。この細かな仕掛けは、ベートーヴェンがこの曲に込めた野心とも言うべき趣きを露呈している。

ミサ曲ハ長調の作曲を依頼したのは、アイゼンシュタットに住むエステルハージ公だった。エステルハージ公と言えば、ベートーヴェンの師でもあるハイドンが長く仕えた貴族で、その任務を終えた後もミサ曲を数多く作曲している(毎年1曲ずつ作曲したと言われている)。しかしハイドンの高齢に伴いこの習慣は1802年に途絶える。ベートーヴェンが新しいミサ曲の委嘱を受けたのは、1807年のことだった。この時ハイドンはまだ存命である。

ベートーヴェンはおそらくハイドンのミサ曲を研究したに違いない。そして師を超える曲を作曲したと思っただろううか、その自信を隠しながら、控えめにこの曲を贈った。しかし初演の成果は良くなかった。エステルハージ公は直接、ベートーヴェンにくだらない作品だと告げたのである。

私がこの曲を初めて聞いた時も、一体どの部分を聞いているのかもわからなくなるような印象を持った。おそらく一度聞いただけでは、とらえどころのない作品のように思えるのかも知れない。だが繰返し何度も聞き続けるうち、円熟期のベートーヴェンの持つ魅力が徐々に伝わって来る。ヘルムート・リリングとシュトゥットガルト・バッハ・コレギウムによる演奏は、シュトゥットガルト・ゲッヒンゲン聖歌隊の見事さに加えて4人の独唱(キャサリン・ヴァン・カンペン(S)、インゲボルク・ダンツ(A)、キース・ルイス(T)、ミヒャエル・ブロダルト(Bs))も申し分がない。ベートーヴェンが書いたミサ曲の魅力が、良好な録音(1993年)によって直截的に伝わってくる。テンポにもメリハリがあって弛緩することもなく、しかも広がりがある。私が聞いた何種類かの演奏の中で、もっとも聞きごたえがあった。

「サンクトゥス」はまた雰囲気が変わって、静かな曲である。それに続く「ベネディクトゥス」は、心が落ち着く曲だ。この作品の隠された斬新さは、おそらく転調の多い曲変化にあるのだろうと思う。作曲家◎人と作品シリーズ「ベートーヴェン」(平野昭著、音楽之友社)には、「転調による響きの斬新さや楽曲構成に伝統的なミサ曲との大きな違いが見られる」と書かれている。もしそうだとしたら、エステルハージ公は伝統的な音楽観に捕らわれて、ベートーヴェンの音楽がすぐには理解できなかったのかも知れない。だからこそベートーヴェンはあえて事前に、ハイドンを讃え自分はハイドンを越えることはできないかも知れないと、あえてへりくだったのかも知れない。

これは、ベートーヴェンの音楽の多くの斬新な作品に見られる傾向である。丁度このミサ曲が作曲されたのは、交響曲第5番の頃だった。そして晩年の大作であるもう一つのミサ曲「荘厳ミサ」は交響曲第9番と並行して作曲された。ハ長調ミサは大変素晴らしい曲だが、「荘厳ミサ」を聞くと、とてつもなく大規模で大胆な曲であることに気付く。この「荘厳ミサ」については、生誕250年のベートーヴェン・イヤーの今年中に取り上げてみたいと思っている。だが私自身、その魅力を語るだけの素養が身についているか甚だ自身がない。

「アニュス・デイ」ではハ短調からハ長調に転じ、回想するような静かな祈りの中に曲が終わる。この急速な閉塞感と不安感が入り混じるコロナ禍の中で、ベートーヴェンのミサ曲を聞いている。道行く街路には、暇を持て余した人々が適度に距離を保ちながら、静かに思い思いの行動をとっている。そして青空に映える桜の木々は、いつのまにか花が散って青々とした葉に変わっている。

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