ベートーヴェンの隠れた作品の中でも、劇音楽「アテネの廃墟」(全曲)ともなると録音件数もめっきり少なくなる。少し検索してみても、モノラル時代のビーチャム盤くらいしかヒットしない。伸びやかな旋律の麗しい序曲はしばしば聞かれ、「トルコ行進曲」に至っては誰もが知っているにもかかわらず、その他の部分については知られることもない。
そうであればあるほど一度は聞いてみたいと思うもので、今ではSpotifyを使えばたちどころにいくつかの演奏が見つかる。その中で2018年にリリースされたナクソスの録音(セーゲルスタム指揮トゥルク交響楽団による演奏)が興味深い。この録音では実にナレーションまでつけられており、世界初との触れこみである。今年(2020年)のベートーヴェン生誕250周年に向けたプロジェクトだそうである。
私もその演奏を一度は聞いてみたが、ドイツ語によるナレーションで長くなった曲は全体的に冗長で、演奏自体もどこかパリっとしない。独唱を含め、この録音にはそのチャレンジを評価するが、「アテネの廃墟」についてはもう一つのクレーによる録音がいいと思う。
クレーは1970年に天下のベルリン・フィルを指揮して、ベートーヴェンのほとんどの管弦楽曲を録音しているようだ。「エグモント」や「プロメテウスの創造物」、ドイツ舞曲などを含む演奏は、カラヤンが君臨していたベルリンの音だけに申し分ない。この演奏があまり評判になっていないのは、レコード会社の怠慢によるものではないかと思う。
劇音楽「アテネの廃墟」はベートーヴェンが交響曲第7番あたりを作曲していた頃(1811年)に完成した。従ってもう円熟期の作品である。にもかかわらず肩の凝らない作品で、全体的に伸びやかである。そのあたりがこの作品の魅力のような気がする。明るい陽光の降り注ぐギリシャを舞台にしているということもある。
ブダペストで落成した劇場のための作品として書かれたこの作品は、そのストーリーもまたこの街と関係のあるもので、トルコ軍の侵攻によって廃墟と化したアテネを離れてブダペストの街に逃れ、芸術の街が再生するというものだそうだ。ハンガリーはアジアの影響のある国で、トルコもまたウィーンに影響を与えた勢力である。従ってオリエント風の音楽が随所に現れる。
それはまず、第3曲の回教僧の合唱であり、そして言わずと知れた次の第4曲「トルコ行進曲」である。トルコ行進曲はピアノ連弾用としても有名である。また「トルコ行進曲」が終わると舞台裏から静かな旋律が流れてきて、やがて合唱が加わる。音楽は次第に規模を増し、序曲にも使われたメロディーが堂々と鳴っていく。その見事さは、この作品の最大の聞きどころだと思う。
全体にあの朗らかな序曲のメロディーがところどころで聞こえてきて、幸せな気分になる。それに合わせて合唱が歌い、最後には国王を賛美して終わる。ベートーヴェンのもっともリラックスした曲のひとつかも知れない。
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ところで、その後1822年に作曲された劇音楽「献堂式」は序曲(作品124)とひとつの合唱曲(WoO98)を除く部分が、「アテネの廃墟」の音楽そのものである。私は当初、そうとうは知らずに、クラウディオ・アバドが指揮するベルリン・フィルのCDを聞き始めた。するとどこかで聞いたことのある音楽だと思った。特に第2曲あたりはあの「アテネ」の序曲のメロディーが聞こえてくるので、まあそういう転用もあるのだろう、くらいに思っていたところ、東洋風の合唱が聞こえてきて、ああこれも「アテネ」の曲ね、と思っていた。ところが「トルコ行進曲」もそのままである。
唯一異なるのは、「トルコ行進曲」の後のソプラノ付きの合唱曲「若々しく脈打つところ」だけで、そのあとには再び「アテネの廃墟」の素晴らしい音楽に戻る。「献堂式」は劇そのものが「アテネの廃墟」からの改作となったため、音楽もそれに従い、多くを転用することになったそうである。従ってこのアバドによる演奏では、多くの「アテネの廃墟」の音楽を聞くことができる。
さらにこのCDには、珍しい劇音楽「レオノーラ・プロハスカ」のための音楽(WoO96)も収録されている。静かな第2曲ロマンツェ「私の庭に一輪の花が咲いている」にはハープとグラス・ハーモニカが使われる非常に美しい曲で、一聴の価値がある。またピアノソナタ第12番作品26より転用された第4曲「葬送行進曲」もまた非常に味わい深い。シルヴィア・マクネアー(S)、ブリン・ターフェル(Br)、ベルリン放送合唱団、クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏である。
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ついでながら、「アテネの廃墟」と同時に作曲、上演されたのが劇音楽「シュテファン王」(作品117)である。ここで序曲と9つの曲は、非常に録音が少ないものの、チョン・ミュンフンが指揮するローマ・サンタ=チェチーリア音楽院管弦楽団の演奏で聞くことができる。「アテネの廃墟」以上に平明な音楽で、バーンスタインによる序曲のビデオ解説では、まるでミュージカルのようだ、と歌詞をつけて歌っていたのを覚えている(「パンにバターとジャムを付けて…」などと)。
この「シュテファン王」を含む珍しいベートーヴェンの管弦楽曲は、今年(2020年)のベートーヴェン年に合わせユニバーサル・ミュージックが編集した「Beethoven: Works for the Stage 2」で聞くことができる。例えばボン時代のバレエ音楽「騎士バレエのための音楽」(WoO1)はヘルベルト・フォン・カラヤン指揮で、「12のコントルダンス」(WoO14)はマゼール指揮で、「12のドイツ舞曲」(WoO8)はネヴィル・マリナー指揮で、といった具合である。もちろんSpottifyで聞くことができるし、曲ごとにダウンロードもできる。ベートーヴェンも普段はこういう曲を書いていたのか、などとひとつの側面を知るには、興味深いものである。だが取り立ててしっかり聞いてみようとはなかなか思わないのが実際のところである。
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