2021年の年頭にあたり、新年のご挨拶を申し上げます。
昨年は新型コロナウィルスの世界的流行を受け、歴史的にも例を見ない異様な年でした。音楽会も全世界で中止され、アーティストの往来もほぼなくなりました。そのような中、私はSpotfyで聞く音楽の時間が多くなり、様々な新しい録音にも出会いました。例えば、2015年ショパン・コンクールの優勝者、チョ・ソンジンの奏でるモーツァルトは特に印象に残っています。優しくも新鮮なソナタもいいですが、ヤニック・ネゼ=セガンと共演したピアノ協奏曲第20番の演奏は、名演がひしめく同曲の新しい側面を発見する思いでした。
同じくショパン・コンクールの覇者クリスティアン・ツィメルマンの弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番は、競演するサイモン・ラトルとロンドン交響楽団の目を見張るような伴奏とともに、やはり同曲の新しい境地を示しています。ツィメルマンは弾き振りをしたウィーン・フィル盤、ラトルはフォークトとのフレッシュな旧盤が有名ですが、ともにそれらを過去のものに変えた演奏と言えます。
年末にはムーティの指揮するシカゴ交響楽団との「第九」で締めくくりました(YouTude)。これは6年も前の映像ですが、巨匠風のゆっくりとしたベートーヴェンは、今では聞くことの少なくなった堂々たる演奏でした。ややもったいぶった感じがなきにしもあらずで、生真面目の遅い演奏に退屈する時もありますが、久しぶりにこの交響曲を通して聞き、生誕250周年を締めくくりました。
ムーティと言えば、今年のウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートは無観客で行われ、その様子が全世界に生中継されました。閑散とした学友協会の大ホールに、赤々と照らされるシャンデリアの照明が、むなしく感じられました。例年同様に差し挟まれる各地の風景やバレエが、特に印象的でした。楽団長とムーティはいつになく長い挨拶を英語で行いました。このような異常事態の中でも、文化、とりわけ音楽の存在する意味を語り、そしてそれは勇気と楽天主義を与えるものだと強調したのが印象的でした。
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