マゼールがワルツを指揮することに興味を覚えなかった人は多い。よりによってなぜ、というわけである。なぜならマゼールは、若い頃からウィーンと関係がそれなりにあったにせよ、オーストリア人ではない。ワルツの名演奏をする指揮者なら、他にも沢山いそうなものである。なのに、国立歌劇場の音楽監督であるという理由で、マゼールが指揮することになった(このあたりのいきさつはよくわからない)。まあ当時はまだローカルなコンサートでもあったので、いまのようなセンセーショナルなものでもなかったし、年末年始の日程をウィーンに拘束されることにも耐えなければならない。そしてマゼール時代のニューイヤーコンサートは、やはり特に目立ったこともなく、単に毎年恒例行事のように行われるコンサートに登場し続けたという感じだった。
だが今から考えて見ると、マゼールの時代に起こった変化が、実は今日にまで続いていく演奏のスタイルを方向づけた感がある。CDなどの新しいメディアの登場に伴い肥大化する音楽業界の波を受けながら、地域色の強いものだったワルツの演奏もまた、インターナショナルなものへと変化した。方言に共通語のアクセントが持ち込まれるように、円舞曲のリズムも客観的で精緻なものとなり、細やかな表情付けがなされるようになった。マゼールの長い手と、時計のように正確なタクト裁きで、ワルツはこういう風に演奏する曲なのです、と説教されているような感じが、やや嫌味にも感じられた。
しかし現在、ニューイヤーコンサートに登場する指揮者はみな、この系統と同様な指揮を披露する。すなわちゆっくりと深く呼吸したうえで、流れるような三拍子がどこからともなく聞こえてくるような静かな序奏。そしてメリハリの効いた主題へと発展する。精密に分析をした上で、新たに組み立てられたウィーンの伝統音楽は、普遍的な音楽へと発展した。ウィーン・フィルもまたそのような緻密な指揮に対応し、最新のワルツ演奏を年一回披露するのが、このコンサートとなった。マゼールの時代に生じた変化は、今にも受け継がれているように思う。
オーストリア第二の国歌とも言われる「美しく青きドナウ」の冒頭で、楽団員が新年の挨拶をするようになったのもこの時代である。最後の「ラデツキー行進曲」で、指揮者が客席に向かって拍手をも指揮するのはマゼールが始めたことだ。最初このシーンを見たときのことをはっきり覚えている。客席が自主的に行っていた拍手をも支配下に置こうとする独裁者は、民主的で自由な新年のコンサートとは相いれないのではないか、などと思っていたのだが、これはカラヤン以降にも継承されて今に至っている。
それどころか、マゼール時代の演奏を記録したディスクはいまなおプレスされ出回っている。これは驚くべきことで、1980年代前半のニューイヤーコンサートの演奏水準は決して低くはなく、むしろ今もって新鮮でさえある。新しい様式のワルツやポルカは、マゼールによって打ち立てられたのかも知れない。例えば私の最も好きな曲の一つである「ウィーンの森の物語」の序奏の、丸で朝のウィーンの公園を散歩しているかのような感覚は、他の演奏には代えがたい魅力がある。今もってこの曲の代表的名演と言えるが、マゼール自身も得意だったようで、以降、何度も何度もプログラムに登場している。
1980年のニューイヤーコンサートでは、初めてオッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲が演奏された。従来、シュトラウス一家とそれに関連の深かった演奏家、あるいはウィンナ・ワルツの作曲家しか取り上げられなかったこのコンサートに、新しい試みがもたらされたのは言うまでもない。これに対する批判も多かったようだ。だがこの「天国と地獄」序曲は名演奏である。ウィーン・フィルはボスコフスキー時代よりも正座して演奏している。マゼールへの批判は多かったかもしれないが、このまま惰性的に演奏を続けていたのでは、成し遂げられなかった方向付けがなされたのだろう。そういうことを含め、このウィーン出身ではない指揮者にシュトラウスのような軽い曲の演奏をも託したあたりが、いかにもウィーンという街のセンスを感じる、などと言ったらほめ過ぎだろうか。
なお私は1983年のコンサートを記録したディスクを所有しており、その演奏を久しぶりに聞いてみた。そこに記録されている演奏は、クラウスともボスコフスキーとも異なる新鮮なもので、今もってそのセンスは輝きを失っていない。例えば、本ディスクのタイトルにもなっているヨハン・シュトラウス2世のワルツ「ウィーンのボンボン」(ボンボンとはお菓子のことで、金持ちの息子のことではない。念のため)では、 しっとりとした情緒がウィーンの休日を思わせる。私にとっては、この曲がこんなに香りを放って聞こえたことはなかった。このほか、マゼールたしい巧みなリズム変化と、一見わざとらしくも音楽的な表情付けを楽しめる作品が続くのは玄人好みといったところ(喜歌劇「インディゴと40人の怪盗(千夜一夜物語)」序曲など)。現在につながる先進性は、マゼールが90年代以降のニューイヤーコンサートにもしばしば登場していることからも明らかだろう。
このディスクには、上記のようにどちらかというと演奏回数の少ない曲ばかりが収められている。超有名曲は「ウィーンの森の物語」くらいであり、何かわざとそうしたのではないかと勘繰ってみたくなる。プログラムにはあった「皇帝円舞曲」、あるいはアンコールの定番「美しく青きドナウ」が省かれているのである。これらの曲はあまりに知られ過ぎていて、他にも沢山の演奏があるから、レコード会社としてはあえてこれらを外したのだろう。しかし、マゼールはこれらの、どちらかと言うと地味な曲でも、恐ろしく真面目に魅力を引き出そうとしている。こういった演奏の傾向もまた、後年に引き継がれていった傾向であると思う。
【収録曲】
1. ヨハン・シュトラウス2世: ワルツ「ウィーンのボンボン」作品307
2. ヨーゼフ・シュトラウス: ポルカ「自転車」作品259
3. ヨーゼフ・シュトラウス: ポルカ「とんぼ」作品204
4. ヨハン・シュトラウス2世: 「ハンガリー万歳」作品332
5. ヨハン・シュトラウス2世: ワルツ「ウィーンの森の物語」作品325
6. ヨハン・シュトラウス2世: 喜歌劇「ヴェニスの一夜」序曲
7. ヨハン・シュトラウス2世: ポルカ「百発百中」作品326
8. ヨハン・シュトラウス2世: ワルツ「レモンの花咲くところ」作品364
9. ヨーゼフ・シュトラウス: ポルカ「遠方から」作品270
10. ヨハン・シュトラウス2世: 喜歌劇「インディゴと40人の怪盗」序曲
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