2021年1月24日日曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(5)ヘルベルト・フォン・カラヤン(1987)

それまで割と地味なコンサートだったウィーン・フィルのニューイヤーコンサートに、何とあのヘルベルト・フォン・カラヤンが登場すると発表されたのは衝撃的だった。これは1989年に死去する2年前にあたる。カラヤンは晩年、特に健康を害して指揮台に登場することも少なくなっていた。また、かねてからベルリン・フィルとの諍いが絶えず、その代わりにウィーン・フィルへの登壇が増えていた。80年代に入ってからリリースされたビデオを見ると、体調の衰えは顕著で、70年代以前の、あの颯爽とした指揮姿とは見違えるほどで、カラヤンと言えども、年齢には逆らえないものだと思ったほどである。

そんな当時のカラヤンがニューイヤーコンサートを指揮するという。この模様は全世界へ衛星生中継されるので、途中で何かあった場合に取り返しが付かないことになる。それまでバレエ音楽やオペラの序曲集など、小品を中心とするポピュラー作品の指揮にも熱心に取り組み、ベルリン・フィルとは何種類ものウィンナ・ワルツの録音があるカラヤンとしては、何としても一世一代の晴れ舞台に応じないわけにはいかなかったのだろう。それにしても本当に指揮台に立つのだろうか?この様子を元日のテレビで見ないわけには行かない。1987年のお正月のニューイヤーコンサートは、今とは比べ物にならないくらいの一大関心事だった。

ニューイヤーコンサートは、実際のところは前日の大晦日に、同じプログラムが演奏される。またその前から入念に練習が繰り返される。後から調べたところによると、カラヤンは万全を期してウィーン入りし、自らの提案でもあった「アンネン・ポルカ」での、スペイン乗馬学校の馬術を撮影したビデオとの音合わせにも熱心に取り組んだようだ。2時間余りにわたって指揮台に立ち続けるだけの体力が持つか、ということも心配されたという。しかし、そのような情報がリアルタイムで伝わってくるような時代ではない。ニューイヤーコンサートのテレビ中継は第2部からとされていたから、それまでは半信半疑の気持ちで待ち続けなければならない。そしてとうとう午後8時から(日本時間)、NHK教育テレビでコンサート中継が始まった。

第2部、すなわちテレビ中継の最初の演目は、喜歌劇「こうもり」序曲だった。その冒頭が鳴り響いた時、音声がモノラルだったにもかかわらず、やはりカラヤンの音だと思った。中継映像は、カラヤンが登場する時にはいつもそうだったように、舞台真横(左側が多い)の定位置からカラヤンをアップで映し出す。だが、照明を暗くして指揮者にだけスポットを当てる、あのベルリン・フィルとのやや不自然なフィルム映像とは違い、あくまで華やかなムジークフェラインザールである。その中に、80歳にもなろうとしているカラヤンが立っていた。

カラヤンと言えばウィーン・フィルと録音した「こうもり」の豪華な全曲盤がある。そのことを思い出させるように、カラヤンのプログラムは自らが得意としていた曲のオン・パレードで、有名作品ばかりを並べた豪華なものであった。このようなプログラムは、後にも先にもカラヤンだけである(強いて言えばカルロス・クライバーだが)。例えば、第1部は喜歌劇「ジプシー男爵」序曲で始まり、「天体の音楽」、「アンネン・ポルカ」、「うわごと」と続く。後半は「こうもり」序曲で始まり、「アンネン・ポルカ」(ヨハン・シュトラウス1世のほう)、「観光列車」、「皇帝円舞曲」と続く。そして、「雷鳴と電光」で大いに盛り上がったところで何と、キャサリン・バトルが登場するではないか。

赤いドレスに身を包んだ彼女は朗らかに「春の声」を歌い(この曲はもともとソプラノ独唱が付いている)、そうでなくても十分華かやな会場の雰囲気が頂点に達した。アンコールの第1曲「憂いもなく」へなだれ込む。そして固唾を飲んで見守る中、「美しく青きドナウ」の序奏が聞こえてきたときは、会場から少し遠慮がちに拍手が起こった。カラヤンは、慣例に従って指揮を止め、会場に向かって挨拶をした。この時のことはよく覚えている。毎年、同じことが繰り返されているにもかかわらず、カラヤンが放つオーラには特別なものが感じられた。テレビ映像に時折バレエが差し挟まれるのも同様だった。そして最後の曲「ラデツキー行進曲」になると、カラヤンは舞台の方に耳をそばだて、「拍手が聞こえませんね」とでも言わんばかりに愛嬌を振りまいた。これに安心した聴衆は、一気に大きな拍手を合わせた。

カラヤンは大きくなり過ぎた拍手を、中間部では静かにするように指示し、会場はそれに応えた。すっかり打ち解けて和気あいあいとなったコンサートは無事終了した。後日、この模様は繰り返し放映され、そしてCDとビデオが発売された。家庭用のビデオはまだ普及の途上にあったから、多くのファンはCDを買い求めた。CDはドイツ・グラモフォンから発売されたが、当時はコンサートを1枚に収めることが通常で、そのために一部の演目がカットされた。カラヤンの1987年のコンサートでは、冒頭の「ジプシー男爵」序曲と「皇帝円舞曲」がこの犠牲になった。

最新のビデオ・ディスク
カラヤンの登場は、事件だった。クラシック音楽が今よりも注目を浴びていた時代に、カラヤンはその「帝王」として世界中の関心を集め続けた。1987年のニューイヤーコンサートへの登場は、そのようなカラヤンの、最後の晴れ舞台だった。2年後の1989年、カラヤンは自宅でソニーの会長と商談中に倒れ、帰らぬ人となった。後日、そのソニーから発売されたビデオ・ディスクには、あのテレビ中継で見たのと同じ映像が収録され(バレエも同じ)、第1部を含め完全な形で、このときの模様を見ることができるようになった。

カラヤンの登場の結果、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートは、新年最初のクラシック界の一大イベントとして、世界中の注目の的となる。この年を境に、ウィーン・フィルも毎年、異なる指揮者と共演することになった。翌年は誰が登場するのか、その話題で一年が始まる。その最初に選ばれたのが、何とイタリア人のクラウディオ・アバドだった。

インターナショナルなイベントになったニューイヤーコンサートには、同じ指揮者が連続して登場することはなくなり、以降、今日に至るまでこの状況は続いている。カラヤンを分水嶺に、1988年以降に登場した指揮者には、あの格別なものが感じられない。だからこれ以降は年代別ではなく、指揮者別に少しの記憶を残しておこうと思う。またシュトラウス一家の有名曲については、その後で少し触れておこうと思う。

 

【収録曲】
1. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ジプシー男爵」序曲
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「天体の音楽」作品235
3. ヨハン・シュトラウス2世:フランス風ポルカ「アンネン・ポルカ」作品117
4. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「うわごと」作品212
5. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲
6. ヨハン・シュトラウス1世:フランス風ポルカ「アンネン・ポルカ」作品137
7. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「観光列車」作品281
8. ヨハン・シュトラウス2世:「皇帝円舞曲」作品437
9. ヨハン・シュトラウス2世&ヨーゼフ・シュトラウス:ピチカート・ポルカ
10. ヨハン・シュトラウス2世:「常動曲」作品257
11. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「雷鳴と電光」作品324
12. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「春の声」作品410
13. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「憂いもなく」作品271
14. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
15. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

※CDは喜歌劇「ジプシー男爵」序曲、「皇帝円舞曲」などが省略されている。

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