東京には数多くの音楽大学があって、学生は様々な楽器や歌などを学んでいる。その数はちょっとしたものだと思う。各大学にはオーケストラがあって、定期的に演奏会を開いているようだが、その音楽大学の9校が演奏を競い合う「音楽大学オーケストラ・フェスティバル」というのがある。いつもコンサートに出かけると、会場の入り口でチラシの束を受け取るが、その中に今年もこのイベントのものが混じっていた。
今年で第12回を数えるそうで、私はこれまで一度も出かけたことはなかったが、コロナ感染も落ち着きを取り戻し、行けるコンサートにはどこにでも行きたいと思っていたところ、家から比較的近いミューザ川崎シンフォニーホールにおいて、このうちの2回が開催されることがわかった。12月4日に開かれるコンサートは、前半が国立音楽大学オーケストラ、後半が洗足学園音楽大学管弦楽団となっている。
どのオーケストラもプロの指揮者による意欲的なプログラムを組んでいる。この2つのオーケストラが演奏する曲目は、国立音楽大学はオール・アメリカン・プログラム(指揮:原田慶太朗)、洗足学園がサン=サーンスのオルガン交響曲(指揮:秋山和慶)となっていて大変魅力的である。私は妻を誘い、わずか1000円のチケットを購入して師走の土曜日の午後に出かけた。川崎駅は常に物凄い人手で窒息しそうになるが、駅から会場までは近く便利である。そしてこの会場に来る音楽の愛好家は、何かとてもコンサートを楽しみにしているような気がする。もっとも学生オーケストラのコンサートとあっては、家族や先生、それに友人たちが押し掛けて会場はハレの大騒ぎ、かと思いきやそんな雰囲気はなく、至って整然としている。プロを目指す彼らは、ある意味で舞台慣れしているのだろうか。
コンサートの前・後半の最初には、横一列に並んだプラス・アンサンブルがお互いの学校のファンファーレを競演する。私の席からは全員が後を向いている。そしてそれが終わると、所せましと並べられた打楽器を始めとするオーケストラの面々が舞台両袖から登場した。暖かく拍手が送られる。女性が多く、第2バイオリンはすべてが女性。前半のプログラムは最初がメキシコの作曲家、レブエルタスのセンセマヤである。7拍子の生々しいリズムに乗って奏でられるのは、生贄の音楽である。鮮烈な打楽器の、会場をつんざくような冒頭から、一気に引き込まれてゆく。原田の指揮は十八番のアメリカものとあって、速めのテンポが冴えている。
曲の合間の奏者の入替えの時間を使って、原田はマイクを握り、曲の解説を行った。次の作品はバーンスタインのミュージカル「ウェストサイドストーリー」より「シンフォニックダンス」である。有名なマンボの場面では、声を発することができないので、拍手をしてほしいと呼びかける。練習に1回これを行うと、さっそく音楽が始まった。ノリのいい音楽は、若者のエネルギーが爆発するかのように生き生きとしている。一糸乱れないアンサンブルは、興奮するくらいに上手いと思う。ミューザ川崎シンフォニーホールの残響が大きいので、オーケストラの音が重なりとても賑やかである。バーンスタインの音楽の特性もあるのだろう。何せこれでもか、これでもかと、やかましいくらいに多彩な音が鳴る。これは天才モーツァルトと似ているといつも思う。私は昔、大阪で作曲家自身が指揮するこの曲を聞いているが、お尻を振りながら指揮をしたその時のことを思い出した。
前半最後の曲は、コープランドのバレエ音楽「ロデオ」より4つのダンス・エピソード。ここでやっと、何か落ち着いた曲が聞こえてきたように思った。それでもアメリカ気質丸出しの底抜けに明るい音楽である。少し弦楽器が弱いと感じたが、これは学生オーケストラだから仕方がないと思った。そしておそらくは相当な練習量だったに違いない。自信に満ちたアンサンブルが大いに心地よく、馬に乗ったような軽快なリズムに会場が沸いた。そして満場の拍手喝采。1時間半近く及んだ前半のプログラムが、これでようやく終わった。
後半の冒頭には、さきほど演奏を繰りひろげた国立音楽大学の管楽器セクションが再び登場し、ファンファーレを披露。その後、洗足学園の学生が静かに入場した。今度は指揮台が置かれ、打楽器は減り、管の編成も小さくなった。代わりに正面のパイプオルガンにも奏者がスタンバイ。やがてゆっくりと登場した秋山は、コンサート・ミストレスと腕をタッチして登壇。前半とは違った落ち着いた雰囲気が会場に漂う。その空気感の違いが、すでに音楽の一部を構成しているようで、何かとても印象的だった。
第1楽章の冒頭の弦楽器の音が聞こえてきたとき、私は本当にこれが学生オケの音かと耳を疑った。音がスーッと入る時の、一切の乱れがない響きの美しさは、プロ顔負けのものである。指揮者がうまいからだろうか。そして楽器と楽器が溶け合う時のバランスの見事さ。特にこの曲はオルガンと響き合うので、これを意識する瞬間は多い。第2楽章の美しいアダージョは何といったらいいのか。後半に入って次第に音量を増してゆくこの曲は、演奏会での人気曲でもある。だからみな固唾を飲んで聞き入っているし、それゆえにこの演奏の素晴らしさにも気付いている。この曲が終わったときほど、会場でブラボーが発せられないもどかしさを覚えた人は多かっただろう。素晴らしい演奏で目だったミスもなく、若さに任せて勢いで乗り越えてゆくわけでもない、実に音楽的な演奏だった。
秋山はこの大学の芸術監督でもあるようだし、それに東京交響楽団の指揮者としてこのホールの特性を知り尽くしているように思った。私は彼の指揮する「第九」を2週間後に聞きに来ることになっている。今から待ち遠しいが、その前に明日、東京交響楽団の定期演奏会がここで催される。このチケットも買っている。
コンサートが終わると5時半になっていた。もうとっくに暗くなった川崎の夜空を見上げながら、隣の駅の蒲田まで電車に乗る。今夜はギリシャ料理を味わうことになっている。1年以上も続いている足腰の痛みが、ここにきてかなり改善されてきた。そのことが何より嬉しい。前半のエネルギーが充満した音楽と、後半の精緻なアンサンブル。どちらの演奏も大いに魅力的で、生で聞く音楽の良さを堪能した2時間半だった。冬の夜風が火照った頬を冷やし、澄み切った地中海の冷えたビールが乾いた喉を鎮めた。
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