私は音楽の専門家ではないので、ここの新しさ、ブラームスがこの曲で見せた新境地について、確かな事実をもって語ることができない。聞いた印象のみで「何か新しそう」ということはできても、その正体がなんであるのかを詳述することは困難を極める。一人のリスナーとして、しかしながらこの曲は、多くの人が語っているように、最も素晴らしいピアノ協奏曲の一つ、そしてブラームスの数ある作品の中でも、ひときわ充実した魅力的な作品であることは疑う余地がない。
名だたるピアニストがこの曲を演奏、録音している。リヒテル、ギレリス、ルービンシュタイン、バックハウスといった往年の巨匠から、アンダ、ポリーニ、ブレンデル、コヴァセヴィッチを経て最近では、アンスネス、グリモーに至るまで、どの演奏も一聴に値するだろうし、オーケストラの出来が大きなウェイトを占めるこの曲は、それぞれに個性が感じられ甲乙つけがたい。それだけ曲自体に深みがあり、情趣に溢れているからだろう。けれども、この曲が魅力的だと感じられるまでには時間がかかる。その理由は、長大な時間と精緻な表現を間近に捉える環境が整わないからだ、というのが私の見解である。コンサート会場でごく近くの席に座り、長い時間ゆったりと耳を傾ける必要がある。ピアニストは高い技量を持ち、オーケストラが貧弱であってもいけない。音楽が派手に鳴り響くわけでもない。この玄人にしかわからないような場を、他の観客に壊されてもいけない。大規模でありながら室内楽のような表現が必要で、派手ではないものの様々な表情を音色、テンポ、ソロ楽器との交歓などに合わせ醸し出す。これがピアノとオーケストラのいずれにも必要で、しかも50分続く。
ブラームスはこの曲を自身の2度に亘るイタリア旅行の末に書き上げた(1881年)。これは前作のピアノ協奏曲第1番の22年後にあたり、ブラームス47歳の円熟期の傑作とされている。何と初演は、ブラームス自身の独奏でなされていることも、よく語れらるエピソードのひとつである。
私がこの作品のいくつかの名演奏をディスクで聞いてきて、初めて自分の心をとらえた演奏は、チリ生まれのピアニスト、クラウディオ・アラウが晩年に残した名録音で、ベルナルト・ハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が競演する1969年のものだった。アラウはこの時すでに66歳、ハイティンクは若干40歳。そのハイティンクは先日、92歳の生涯を閉じた。今から半世紀以上も前の演奏ながら、ピアノもオーケストラも必要十分な音質で録音されており、そういう観点でも評価に値するディスクだと思う。
演奏が困難を極めるこの曲を、ピアノがあまり起伏を持って表現しすぎると間が持たない。オーケストラは、ピアノを支える土台としてゆるぎないものでなくてはならないことに加え、しばしばソロを含むメロディーが主役を演じる。すっきりしすぎていては、あの重厚なブラームスが表現されない。アラウはいつものようにどっしりと骨格を示しながらも、時におおらかな弧を描く。そしてハイティンクの指揮が、これをしっかりサポートしてピアノに交わっている。この年代としては信じられないくらいに録音も素晴らしい。
第1楽章冒頭は、霧立ちのぼるホルンの主題で始まる。すぐにピアノが追いかける。このフレーズだけでブラームスの世界に引き込まれてゆく。オーケストラの短いフレーズに続いて、丸でカデンツァのようにピアノが大きく羽ばたくように独奏すると、ここから始まる長い音楽への道のりが、とても嬉しく思えてくる。第1楽章だけで17分にも及ぶソナタ形式。
第2楽章はスケルツォ楽章。いい演奏で聞くと、これほど魅力に溢れた楽章はない程白熱したものとなる。その興奮は、内に秘めたエネルギーが燃えるといういかにもブラームス風である。この楽章がなければ、この曲は目立たない作品になっていただろうとも思う。
チェロの渋い独奏で始まるのが第3楽章。主題をチェロに代わって弦楽器が繰り返すときでさえ、ピアノはまだ音を出さない。この楽章でのピアノは脇役に回っている。夜の静寂に映えるガス灯のような中間部を十分に味わって、再びチェロが冒頭の旋律を繰り返すとき、もっと印象的なものになっているから不思議である。このレトロな主題ほどブラームスを感じるものはない。
おもむろに始まる第4楽章は、大人しい音楽だが愉悦に満ちている。イタリアの影響を最も感じさせるのがこの楽章ということになっている。結局、この曲は全体で50分も続くのに、急激で派手な部分はほとんどない。これがベートーヴェン以来続くピアノ協奏曲の一般的な印象を裏切ることになる。長い曲が終わると、奏者も聞き手もぐったりと疲れたようになる。しかし本当にいい演奏で聞いた時には、さわやかな充実感が心を吹き抜けて行く。繰り返すように、ブラームスの魅力をもっとも感じさせるのが、このピアノ協奏曲第2番だと思う。第1番の失敗から22年が経過し、ブラームスはベートーヴェンからの流れを変える名曲を残したのではないか。
最後に、これまでに聞いた他の録音の感想を簡単に記しておきたい。代表的名盤とされるギレリス盤(ヨッフム指揮ベルリン・フィル)は、ギレリスの剛健ながらやさしいピアノが魅力的で、ヨッフムも明るく強固に伴奏をしており素晴らしい演奏だが、なぜか飽きてくるようなところがある。完璧すぎるからだろうか。その点、もう一方の横綱級名演であるバックハウス盤(ベーム指揮ウィーン・フィル)は、その評判通り文句のつけようがない素晴らしさで、この曲の歴史的な金字塔と言える。ただ私が聞いたディスクでは、録音が少しも物足りず、箱の中で鳴っている感じがする。これではウィーン・フィルの魅力も半減する。
ここで触れたアラウ盤が大関だとすると、今一つの大関にはポリーニ盤(アバド指揮ウィーン・フィル)が良いだろう。若きイタリア人コンビには、明るく流れるような粒立ちの音が耳に心地よく、他の演奏にはない新鮮さが感じられる。なお、アラウには古い録音(ジュリーニ指揮フィルハーモニア管)が、ポリーニには1995年の録音(アバド指揮ベルリン・フィル)と2013年の新録音(ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデン)もあるが、いずれも聞いたことがない。
関脇にはアンダ盤(カラヤン指揮ベルリン・フィル)を挙げたい。カラヤンは不思議なことに、この第2番しか録音しなかった。アンダのピアノも魅力だが、オーケストラに関する限り、カラヤンとベルリン・フィルにはやはり脱帽せざるを得ない。新しいグリモー盤(ネルソンズ指揮ウィーン・フィル)も関脇としたい。久々の新録音に相応しい新鮮な演奏で、録音の良さとウィーン・フィルの美しさが際立つ。そして小結には、コヴァセヴィッチ盤(サヴァリッシュ指揮ロンドン・フィル)とブレンデル盤(アバド指揮ベルリン・フィル)を挙げておこう。
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