2021年12月17日金曜日

サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調作品78「オルガン付き」(Org: サイモン・プレストン、ジェームズ・レヴァイン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

大阪に日本初のクラシック専用ホールが完成したのが1983年のことである。この時話題に上ったのが、正面に設えたパイプオルガンで、以来、我が国には雨後のタケノコのようにパイプオルガンを備えたクラシック専用ホールが完成してゆく。オーケストラの背後に席を設けるのと同様に、まるでそうしなければならないかのように。丁度バブル景気に乗って、自治体にも潤沢な資金があったのだろう。それを満たすだけの音楽文化が、この国に根付いているのかはよくわからない。何もクラシック専門でなくてもいいのではないかと思うのだが、かといって多目的の文化ホールのみでは、どんな種類の音楽にも中途半端なままである。その極みとも言うべきNHKホールは、丸で紅白歌合戦のためにあるようなホールだが、N響は今でもここを本拠地としており、そして潤沢な受信料収入を背景に大規模なパイプオルガンが備えられている。

ところが世界中を見渡してもパイプオルガンまで備えたホールは、さほど多くはないと思う。オルガンは教会で聞くものだということだろう。私もオルガンの曲を敢えて聞くということはまずない。そしてオーケストラの曲にオルガンが混じると言うのも、実際のところそれほど多くはない。そしてそれを交響曲に取り入れた作品となると、サン=サーンスの交響曲第3番くらいで、オルガン奏者だったブルックナーもオルガンを思わせるような交響曲を書いたが、交響曲にオルガンを混ぜるようなことはなかった。

オルガンとオーケストラの響き合いが困難だと思われたのかも知れない。またオルガンを備えたホールが少ないということもあるのだろう。私が初めてこの曲を聞いたのは、ニューヨークのカーネギーホールだったが、ここにもオルガンは備えられていない。そこで聞いたマゼール指揮フランス国立管弦楽団の演奏会では、小さな移動式のオルガンが設置されていた。どういう響きだったかはもう覚えていない。何せ30年以上も前のことだから。

東京にあるいくつものクラシック専用音楽ホールでこそ、サン=サーンスのオルガン交響曲は演奏に値するだろう。にもかかわらず、私はまだ日本でこの曲を聞いていない。これほど有名な曲であるにも関わらず、どういうわけかこれまで、プログラムに登っていても会場に足を運ぶことはなかった。だが今回、初めて川崎で音大オーケストラフェスティバルというのがあって、この曲を聞く機会があった。学生オケとは思えないようないい演奏で、多分に感心して帰ってきたこともあり、久しぶりに我がCDライブラリの中から、この曲を聞いてみようと思った次第である。

サン=サーンスの「オルガン交響曲」は、2つの楽章から成り、それぞれの前半はオーケストラのみで奏されるが、後半はオルガンの壮麗な響きが加わって、独特のムードを醸し出す。都合4つの部分に分かれ、第1楽章後半はゆっくりとした緩徐楽章、第2楽章前半はスケルツォのような趣を持っているため、全体で4つの楽章から成る交響曲と考えても違和感はない。

メロディーの一部にはグレゴリオ聖歌の音形が引用されていたり、第2楽章に4手のピアノも混じったりと聞きどころは多く、フィナーレでは次第に音量が上がって迫力満点であり、この作品が初演時から一貫して人気を博しているのも頷ける。特に美しい第1楽章の後半は、ロマンチックというよりは静かな美しさに満ち、丸で昇天するかのように崇高で静謐なメロディーは最大の聞きどころではないかと思う。

もしかするとオルガンを用いるということは、教会の領域に半ば踏み込むことになり、相当な覚悟も必要だったのかも知れない。ただ、演奏会を含め、この作品の録音にはオーディオ効果を表現するにはうってつけの作品であり、メロディーも映画やドラマなどに使われることもあって、割に世俗的でもあると思う。特にスタジオ録音された管弦楽に、別の場所で録ったオルガンをミックスするやり方は、デュトワ、カラヤン、バレンボイムなどといった名だたる名盤でも使われている。

さて。今年亡くなった音楽家の中にジェームズ・レヴァインがいる。シンシナティ生まれでジョージ・セルの助手を務めてキャリアをスタートさせ、特に1971年以降はニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の音楽監督を始めとする要職を長年務めた。この間に指揮台に立った回数は2000回を超え、このオーケストラの技量を飛躍的に向上させた。

彼はコンサート指揮者やピアニストとしても有名で、特に1980年代の活躍は世界を席巻するほどのものだった。全盛期を誇るその時代に初めてベルリン・フィルと録音した曲が、サン=サーンスの「オルガン交響曲」だった。ドイツ・グラモフォンによるCDは、今聞いてもほれぼれとするような旋律美と迫力に満ち、丸でイタリア・オペラのカンタービレを思わせるようなフレーズや、ヴェルディ作品のようなドキドキ感を生々しく伝えている。

結論から言うと、私のこの曲のベスト盤のひとつは、ジェームズ・レヴァインがベルリン・フィルを指揮した1986年の録音であると思っている。カラヤンにはカラヤンの、デュトワにはデュトワの、そしてこの作品のモデルとも言うべき古典的なミュンシュやオーマンディにもそれぞれの持ち味と魅力があるが、レヴァインの持つ味わいには彼でなくては引き出せないようなものがあると思う。オルガンを務めるのはイギリス人の著名なオルガニスト、サイモン・プレストンで、第1楽章の後半ではそのオルガンの響きが極小にまで控えられ、天国的な美しさを醸し出す一方で、フィナーレでは前面に出たオルガンを含む全体が壮大なスペクタクルのようにドライブされていく様は、興奮を覚える。

だがこの演奏を含め、レヴァインの数々の名演奏(それはすこぶる多い)に素直な気持ちで接することができなくなってしまった。この心理的ショックを、世界中の人々、とりわけ特に2000年代後半以降に病に倒れてからの、奇跡的な復帰を喜んだばかりのニューヨークの人々は、どう清算しているのだろうか。在任中から数々の疑惑が絶えなかったにも関わらず、その音楽的な才能から彼の活躍に拍手を送り続けて来た私を含むファンは、この時、とうとう最後の絶望の底に突き落とされた気がした。

晩年の生活はほとんど語られておらず、寂しい死だったと思われる。善と悪、芸術と犯罪は隣り合わせにあるような脆弱性の中で成り立っているのだろうか。極度のコンプレックスとその反作用として才気が、彼の演奏の中に共存していたような気がする。教会の崇高さ外面的装飾性を合わせ持つ「オルガン交響曲」を聞きながら、私の心は常にアンヴィヴァレントな状況から脱することができなかった。


(追記)

本CDにはデュカスの交響詩「魔法使いの弟子」も収録されている。こちらもテンポを速めにとった圧巻の名演である。

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