15曲の「ハンガリー狂詩曲」は勿論、ピアノ用の曲であって、リストの超技巧的なテクニックが必要となる難曲だが、そこに独特のジプシー風メロディーが加わり、調性は絶えず変化するどころか、リズムはかなりの自由度を持って揺れ動く。ピアノで演奏される「ハンガリー狂詩曲」には、それだけに数多くのピアノの名手によって演奏され録音もされているが、この15曲の中からドップラーによってアレンジされ、さらにはリスト自身の手も加えて出版された管弦楽版「ハンガリー狂詩曲」が6曲ある。
- 第1番ヘ短調 S.359/1 (原曲:第14番)
- 第2番ニ短調 S.359/2 (原曲:第2番嬰ハ短調)
- 第3番ニ長調 S.359/3 (原曲:第6番変ニ長調)
- 第4番ニ短調 S.359/4 (原曲:第12番嬰ハ短調)
- 第5番ホ短調 S.359/5 (原曲:第5番)
- 第6番ニ長調 S.359/6 (原曲:第9番変ホ長調)
このうちもっとも有名なのは「第2番」で、これは原曲でも第2番なのだが、この曲の演奏を取り上げた録音は多い。私の知る限り、ハンガリー生まれのショルティは第2番を「ハンガリー・コネクション」と銘打たれたCDに録音したが、それ以前にカラヤンは第2番と第4番、それに第5番を録音している。一方、全曲を録音した指揮者は少なく、メジャー・レーベルに関して私の調べた限りでは、最も有名で未だに決定的であるドラティ(ロンドン響)を筆頭にメータ(イスラエル・フィル)、マズア(ゲヴァントハウス管)、それに1998年になって登場したI・フィッシャー(ブダペスト祝祭管)によるフィリップスの名録音が近年における最右翼であることに疑う余地はない。
かつて私は、アーサー・フィードラーの指揮するボストン・ポップス管弦楽団による演奏でクラシック音楽の楽しみを知ったのだが、当時の名曲集に収録されていた第2番の演奏は、少々雑で物足りないものだった。それに比べるとカラヤンのゴージャスな演奏は、この曲をシンフォニックに演奏して一種のスタイルを確立していたように思う。けれども随分重い演奏だと思い、さほど好きな方ではなかった。後年になってショルティの肩の凝らない演奏を聞いた時、編曲の違いもあるのだろうか、こういう演奏もできるのだと驚いた。
もともとはかなり自由な曲である上に、編曲した際にもどこをどう演奏するかは演奏者に委ねられている部分も多い。そう考えると、この曲にさらに多くの装飾を加え、リズムの変化を大きく見せるかと思えばゆったりとした部分を存分に引き延ばす、といったあらゆるテクニックを駆使して、それまでコンサート会場でなされなかったような演奏を繰り広げることも可能であろう。I・フィッシャーによる演奏はまさにそのような体である。それを優秀な録音が引き立てている。だが残念なことに、この演奏には何かが足りないように私には感じられる。
リストの管弦楽曲は難しいと言われている。その難しさを感じさせず、肩の凝らない演奏こそが望ましいというのが、私の結論である。そうなるとメータの出番である。1988年、テルアビブでスタジオ録音された一枚は、決定的ではないものの全曲をしっかりと演奏したもので、特に後半の比較的地味な曲の味わいはなかなかいい。リラックスしたムードと楽しい響き、その中にも少しは気品を感じさせ、ハンガリー情緒も大袈裟にならず、かといってしらけてもいない。
この演奏を聞きながら、今では死語になってしまった家庭におけるレコード・コンサートのことを思った。私の少年の頃の愛聴盤だったフィードラーのレコードは、まさにそのような時に取り出される一枚で、ライナー・ノーツに評論家の志鳥栄一郎が、ご家庭でビールを片手にくつろぎながらお聴きください、と書かれていた。家庭のリビングにまだテレビが一台しかなかった時代でも、我が家では時に、そのテレビではなくステレオ装置を稼働させ、主に父親の選択する何枚かのクラシック・レコードをかけたものだ。
交響曲を全曲聞くこともあれば、いくつかの小品や、長い曲のさわりだけ、ということもあった。約1時間余りの時間をそのようにして過ごす、ちょっと品のいい家庭における一家団欒の時間は、主に週末の夜などに持たれたが、そのような文化は世界中にあったと思われる。だが、テレビでさえ家族で見なくなっていく時代、LPがCDに代わった頃から、家庭における音楽文化は個人的な空間の中に閉じ込められていく。この傾向がもたらした変化は、発売されるディスクの選曲にも影響を及ぼしたであろう。
リストの「ハンガリー狂詩曲」といったポピュラー名曲は、このようにして存在価値を減らされていった。いまやその全曲を通して聞くことなどない。売れないCDを時間をかけて演奏する演奏家も減ってゆく。そう考えると、このメータによるスタジオ録音は、衰退してゆくポピュラー音楽文化の最後の残照を感じさせ、何かとても懐かしい気分にさせてくれる。だから有名な「第2番」のみではなく、「第1番」からきっちりと聞いてみたくなる。そうしたことは、実はこれまでほとんどなかったことにも気付く。
メータのリズム変化の処理が、自然でそれでいてメリハリがあるのがいい。時折聞こえてくるハープの音色に耳を澄ませ、中低弦の響きに地味な東欧の息吹を感じる。そのようにして第6番までの1時間余りは、少し音量を控えめにしてステレオ装置で鳴らしてみたい。読書などをしていてもそれを妨げず、時に親しみやすいメロディーに手を止めて聞き入るような瞬間が何度もあるだろう。家族で音楽を聞くことはなくなったが、それでも一人で何かとても充実した時間を過ごせる。このディスクはそんな演奏である。
0 件のコメント:
コメントを投稿