今日は真冬の上州路を訪れるため、特急「草津・四万」4号に乗っている。熊谷を過ぎて早くも傾きかけた西日の向こうに、妙義山が見えている。西高東低の気圧配置が強まって、日本海側から吹き付ける北風が谷川岳に大雪を降らせ、そのあとは空っ風となって北関東に流れ込む。ちぢれ雲が空に浮かんでいる。その雲が日光を遮ると手元が明るくなったり暗くなったり。そうこうしているうちに高崎市内へ入った列車は速度を緩めた。ブルックナーの交響曲第9番も終わりかけのアダージョを迎えた。
ジュリーニはウィーン・フィルとの間で、第7番、第8番、それに第9番の録音を残している。ウィーン・フィルの方から録音を希望したという噂を聞いたことがある。その条件として通常以上の長さの練習がなされたらしい。そうしてまで、このブルックナーゆかりのオーケストラはジュリーニとの共演を後世に残すことにこだわった。その結果、私たちの手もとに世界でも屈指の名録音が届けられた。1988年のことである。
この演奏を聞くまで、私はこの曲を誤解していた。少なくとも理解が不足していたようだ。これは私の聞き方が足りなかったからか、あるいはそれまでに聞いた演奏がその魅力を十分伝えきれなかったからであろう。昨年はブルックナー生誕200周年だったから多くの演奏会が催されたが、今年もまたブルックナーの音楽は演奏され続けられるだろう。あまりに素晴らしい演奏だがら、年を越してなお、私はこの曲を聞き続けている。
世の中は激動の年を迎えた。だがまるで嵐の前のように、今年のお正月は穏やかでだった。テレビは例年のごとく低俗な芸能番組を垂れ流しており、その傾向にもはや多くの人が辟易している。家族がこのような番組を見ている以上、私は家庭に居場所がない。仕方がないからスマホにこの曲をダウンロードして、夜中の街を彷徨っている。さすがに寒い。だが極上の音楽が私を幸せにする。そのことに理由も何もない。だたひたすらに美しく、まるで天国にいるような感覚。
ブルックナーはこの曲を第3楽章まで完成し世を去った。未完成ということになっているが、この後にどんな音楽を続けたらいいのだろう。もしかしたら神は、ブルックナーに続きを作曲する必要はないと判断したのかも知れない。それほど完成度が高い。そしてジュリーニの演奏は、まるでこの曲を演奏する使命を帯びているかのようにピタリと寄り添い、どの楽器のどの音も完璧であるように聞こえる。ドイツ・グラモフォンの録音も非常に優れている。70分の演奏時間は丁度CD1枚に収まる。
特徴的なのは第2楽章がスケルツォとなっている点で、調性がニ短調であることも合わせ、この曲はやはりベートーヴェンの第九を想起させる。第1楽章は荘重で、第3楽章はアダージョが起伏を持って表れる。この曲について私は、この程度にしておこうと思う。第1楽章のいくつかの部分、確信に満ち揺るぎない第2楽章、そして第3楽章のほぼ全体を通して、私はブルックナーの神髄とも言うべき美しさに触れる。その恍惚的な幸福感は例えようもない。そこにどんな意味があるかは知らない。いや意味などないのだろう。そういうわけで、ブルックナーの音楽を難しくとらえる聞き方は好きではない。ただ流れに身を浸しておけばいい。
死ぬときはブルックナーを聞いていたい、と多くの人が言う。安寧の臨終であれば、それが最も幸福であると思う。しかし誰もがそのような幸せな最期を迎えるとは限らない。ブルックナーの音楽を聞きながら、こういう風に死ねればいいな、と多くの人は勝手に想うのだろう。
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