2026年6月24日水曜日

プッチーニ:歌劇「トスカ」(2026年6月20日 横浜みなとみらいホール)

プッチーニの歌劇「トスカ」が、沼尻竜典指揮・神奈川フィルの特別演奏会で取り上げられると知ったとき、「これはぜひ聴いてみたい」と思った。上演は演奏会形式であるとはいえ、彼の指揮する一連のオペラ公演に私が失望したことは一度もなく、また彼が音楽監督を務める神奈川フィルの最近の躍進には目覚ましいものがあると感じているからだ。

オペラの演奏会形式というのは、コスト削減も目的のひとつであると思われるが、考えようによっては他にもメリットがある。大道具やそれにともなう舞台転換といった華やかさには欠けるものの、オーケストラが舞台上で直に演奏することによる音楽的な効果は絶大だ。それに、たとえ演技に制約があるとはいえ、歌手たちはそれなりの衣装をまとって演技をしてくれる。

合唱団を含めた空間の利用はオーケストラ後方の座席にまで及び、さらには照明も工夫されていた。もちろん、字幕がつくのもありがたい。

さて、歌劇「トスカ」は「ボエーム」や「蝶々夫人」などと並ぶプッチーニの代表作だが、その舞台がイタリア、それもローマ市内というのは、彼の作品のなかではむしろ珍しい。最後にトスカが身を投げるサンタンジェロ城は、古代ローマ風の円形をしており、屋上からは目前にバチカンの聖ピエトロ広場が見渡せ、すぐそばをテヴェレ川が流れる。言わば「ローマの中のローマ」ともいうべき場所を、プッチーニは物語の舞台に選んだのだ。

これは、プッチーニが特に好んだ異国趣味を考えると異例のことと言える。「ボエーム」のパリ、「トゥーランドット」の北京、「西部の娘」のアメリカなど、台詞はイタリア語であっても、その舞台は世界中に及ぶからだ。

そのローマの、これもローマ時代の遺跡であるカラカラ浴場跡を舞台にした夏の野外音楽祭で「トスカ」を観たのは、もう40年も前のことである。これが私の最初のオペラ体験だった。ローマと「トスカ」、そして私は、このように不思議な縁で結ばれている。だからこそ「トスカ」は、私の最も好きな演目のひとつなのだ。

その「トスカ」の主な登場人物はわずか3人。3人そろえば舞台が成立するので、コストパフォーマンスが重視される“金食い虫”のオペラ公演にあっては、大人気のプログラムでもある。だが、魅力はそれだけではない。第1幕最後には壮麗な「テ・デウム」のシーンが、第2幕にはトスカのアリア「歌に生き、恋に生き」が、そして第3幕にはカヴァラドッシが歌う「星も光りぬ」といった超有名アリアがちりばめられている。音楽は凝縮され、展開も早く、極めて完成度が高いオペラなのである。

「わずか2時間の間上演時間に、拷問、殺人、処刑、自殺という血なまぐさい出来事が詰め込まれ」(プログラム・ノート)、最終的には主人公が全員死亡する。その間にも逃亡、脅迫、セクハラといった切迫した状況が次々と展開するが、レジスタンスや逃亡の幇助といった政治的メッセージは原作から薄められ、むしろ、友情、嫉妬、愛情、祈りといった個人的心情に即したドラマ的要素も盛り込まれているのも、いかにもプッチーニらしいところである。いわばオペラの題材になるものが、ここにはすべて登場する。

さて、梅雨入りした関東の天候はこの日も朝から雨が降り、蒸し暑いなかをみなとみらいホールへ向かった。いつも寄って食べているフィレンツェのジェラートも、今日はいつもより美味しく感じるのは気のせいだろうか。

それにしても、1階席に結構な数の空席が目立っていたのは残念なことだ。私は前から10列目中央という最高の席だったが、にもかかわらず左右の席が空いていたのには驚いた。この公演は、横浜に先立って高崎や名古屋でも開かれており、オーケストラと合唱団は異なるものの、同じ歌手と指揮者による公演で、その前評判も上々だったことを考えると意外である。

しかし、この席で聴くオーケストラの響きと歌手の歌声は、すべてが手に取るように生き生きとしており、音楽と歌声がこれほど一体となるのを体験したことがない。オーケストラ単独で聴いたとしても、それは完璧なものだった。

舞台後方の席には少年合唱団も出入りする。オルガンも加わって壮大な「テ・デウム」が流れ、一瞬にして照明が消されると、客席からは大きなブラボーが乱れ飛んだ。

興奮冷めやらぬ様子で1回目の休憩時間に入る。やはり演奏会は前の方で見るに限る、と改めて感じさせてくれた舞台だった。

続く第2幕はスカルピアの独壇場である。スカルピアを演じたのはバリトンの江上隼人で、彼がこの日もっとも充実した出来栄えだったと私は思う。スカルピアの極悪ぶりが強調されればされるほどこの舞台は効果的なのだが、今回はそういう過度なドラマ性よりも、「聴かせる歌」としての魅力が勝っていた。

舞台上に小道具のようなものがないのはちょっと残念ではあったが、歌手は床に倒れ込んだりしてそこそこの演技を行い、もちろんすべて暗譜で歌いきっていた(プロンプターの指示はあったかもしれないが)。音楽が悪の極致を奏でたあと、舞台に一人残ったトスカが「歌に生き、恋に生き」を歌う。ソプラノは佐藤康子だ。

その歌声は美しく、ドラマチックな声量も見事ながら、やや滑らかさを欠き、ここでは少し息切れ気味に思えたのが残念でならない。一方、第3幕で見せたカヴァラドッシは、本公演唯一の外国人であるテノールのシュテファン・ポップによって歌われたが、さすがにわずか30分間の第3幕にすべてのエネルギーを集中させるような、見事な演技と歌声であった。

見せかけの銃殺刑だと信じていたトスカは、カヴァラドッシの前に駆け寄り、彼が本当に殺されたのだと気づくと、サンタンジェロ城を駆け上って屋上からテヴェレ川に身を投げる。ここが「トスカ」最大のクライマックスだ。みなとみらいホールの舞台から客席へと駆け上がった彼女は、オルガン脇から奥へと身を投げるようにして姿を消し、そこで劇的な幕切れとなった。この鮮やかな幕切れの演出は、もう本公演が繰り返されることはないと思われるので、ここに書いても差し支えないだろう。

終始緊張感を絶やさずタクトを振っていた沼尻も、最後は何度もカーテンコールに応えて舞台に呼ばれたとき、満足げな表情で観衆の拍手に答えていた。

私は彼が上演するオペラに何度も通っている。「ワルキューレ」(ワーグナー)や「魔弾の射手」(ウェーバー)などだ。そして記憶に新しいのは、コロナ禍の最中に無観客で開催された、びわ湖ホールでの「神々の黄昏」である。この模様は無料でライブ配信され、私もオンラインで視聴した。無観客ゆえの静寂な空間に、滔々と流れる音楽に身を浸した。何ともったいない、次はぜひ観客を入れて再演をしてほしいと思ったが、そんなことをしなくても赤字を垂れ流すオペラは、演奏すればするほど赤字が膨らむとのことで、これっきりだったのが悔やまれる。

演奏会形式のオペラ公演は、チケット代も安く、しかもオーケストラの音を十分に楽しめる。演技が少ない分、歌手も歌にエネルギーを集中できるようだ。だから私は大歓迎である。これまでにも「フィデリオ」(ベートーヴェン)、「ファルスタッフ」(ヴェルディ)、それに「サロメ」(R・シュトラウス)などを観てきた。

そして来月は、スカラ座公演と同じキャストによる、チョン・ミョンフン指揮の「カルメン」(ビゼー)を観に行く予定である。今から期待が膨らんでいる。

サンタンジェロ城から見たサン・ピエトロ寺院


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