Midsummerを辞書で索くと「盛夏」などと並んで「夏至」という意味が記載されており、「日本と違って快適な時期」などとおせっかいなことまで書かれている(「ジーニアス英和大辞典」)。だからシェークスピアが書いた本作のタイトルは「夏至の夜の夢」がより正しいだろう。そのためかかつて「真夏の夜の夢」と訳された題名が、最近では「夏の夜の夢」と変わりつつある。一方我が国で「夏」というと五月の初夏からお盆の頃までを指し、その長さは随分と長い。日本で「真夏」というとその期間は、梅雨明けからお盆までの数週間である。花火大会などが開かれるイメージだ。
ところが「夏至」は昼の長さが最も長い日のことで6月下旬のわずか1日を指し、そういう意味で「夏の夜の夢」と言ってしまうと時期をかえってあいまいにしてしまっているような気がする。
クラシック音楽の世界では、「そはかの人か」(歌劇「椿姫」の有名なアリア)などと言うように、一度定着した古めかしい言い方を続ける傾向があり、それはそれで独特の味わいもあるため、誤解の生じない範囲で古い言い方を好む人も多い(つまり保守的だというわけだ)。というわけで、これは私のコレクションでは「真夏の夜の夢」のままと考えている。
その劇音楽の作品番号は、序曲が作品21で、それ以外の部分(には有名な「結婚行進曲」などが含まれる)は作品61となっている。これは作曲年代の違いによる。ベルリンに住んでいたメンデルスゾーンは、まだそれほど有名ではなかったこのシェークスピアの劇に出会い、まず序曲の作曲を手掛けた。ここではその序曲のみを取り上げた。
先に触れた弦楽八重奏曲が、天才メンデルスゾーンの作風が確立したもっとも初期の作品だとすれば、これは管弦楽作品としてのそれであると思う。そのくらいこの作品の完成度は高く、一度聴いたらなかなか耳を離れないくらいの印象を残す。おそらく誰もがそう思ったのであろう。だからこの序曲を聞いて、本篇の作曲依頼が舞い込んだのだろう。
メンデルスゾーンは劇付随音楽として全曲を完成させるに際し、若干17歳のときに作曲したこの序曲をそのまま採用している。従ってもはや改訂の必要がないと判断したことになる。確かに全体を聞いても序曲だけが未熟で浮いている、などということは全くない。
ヴァイオリンのトレモロで始まる冒頭部分は、指揮者の違いを聞きわけるひとつのポイントであろう。私も手元にあったいくつかの演奏を聞き比べてみた。アバドや小澤征爾などに加え、最新のシャイーによるものまで様々だったが、私が気に行っているのは若きコリン・デイヴィスによる演奏だ。オーケストラはここではボストン交響楽団、交響曲「イタリア」とのカップリングである。
デイヴィスはそれぞれの楽器をくっきりと浮かび上がらせ、ともすればメロディーラインの綺麗さで誤魔化される縦の線の統一にこだわっている。それでいて、終結部に見せるヴァイオリンの静かなカンタービレに集中力を欠かさない。何ともツボを抑えた名演であると思う。なお、劇付随音楽全体は別途取り上げたいと思う。
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