
フルトヴェングラー、ベーム、セル、クナッパーツブッシュ、バーンスタイン、ライナーなど思いつくだけで錚々たる布陣。それまでの曲にこれほどの取り上げられ方をされている曲は思いつかない。そしてこのブルーノ・ワルターがコロンビア交響楽団を指揮した一枚も、その中に名を連ねる。なぜだろうか。それはこの曲が持つ、革新的とも言えるロマン性にあるのではないだろうか。
第2楽章を聞くと良い。この楽章は丸でシューマンのようだ(そう言えばひところ、フルトヴェングラーのレコードはシューマンの交響曲第4番との組み合わせだった)。ここだけを聞くとこれがハイドンの作品であると気づくのに時間がかかる。
第1楽章の、実に丁寧で細部にまで神経を行き渡らせた正確な序奏部分を聞くだけで、この演奏が今なお数多くの録音の中でも十分に歴史に耐え得る完成度を誇り、新鮮さを失っていないことに気付く。かつてLPレコードで聞いたコロンビア交響楽団との一連の録音では、ステレオ初期の欠点により何とも厚ぼったく、時には無機的にさえ感じられたのが、リマスターされCD化されると、何か別の演奏に変化したかのような気がした。
ワルターは晩年にあってもなお非常に厳格で格式が高く、それに加え高貴であった。ドイツ音楽の流れを継承しているが故に、古典的な作品にこそその特質が表れているとすれば、このハイドン(やもちろんモーツァルト!)こそ後世に残されるべき遺産であと思われてくる。その真骨頂とも言えるのが、限りなくロマンチックな第2楽章だ。
実際に私は、この楽章を聞いてから「この曲はワルターで聞いてみたい」と思った。その逆ではない。この第2楽章ほどワルター節が似合う曲はない。ある意味で今ではすっかり聞かれなくなった手法、つまりモダン楽器によるビブラートやルバートを多用した節回しは、深く物思いに沈んだかと思うと、すっと目を覚まして確固たる足取りで前進し、その脇の美しい花に見とれる。何かそのような情景が目に浮かんで来る。
テンポは遅く、それにだんだんと止まりそうにさえ感じられるのだが、ピチカートで弦楽器がリズムを印象深く刻むその合間を、弦楽器や木管楽器が鳥のように舞い上がる。こんなロマンチックな歌は、晩年のバーンスタインにも見られた。バーンスタインは師匠をモデルにしたのだろうか。
第3楽章も第2楽章と並ぶ大きさを持っている。ゆっくり堂々たるテンポを持つ、こんな充実したメヌエットを聞くのは久しぶりである。モーツァルトのような軽やかさはない。丸で何十人もが踊る舞踏会のようだが、中間部になると独特のアクセントを伴ったリズムが面白く、ここでも細部にまで心を配るワルターの指揮が冴えている。
これら2つの楽章を経て続く第4楽章は、小規模で軽やか、少し諧謔的でもある。ここでも乱れのないアンサンブルは完璧で、マーラーの流れを組む大指揮者で聞くハイドンも、ヒストリカルな意味を持つにとどまらず、今でも聞き手に新鮮さをもたらす。カップリングされた「軍隊」とともに、このCDは所有価値が高い。
これに比べるとベルリン・フィルとともにスタジオ録音されたフルトヴェングラーの演奏は、とても大人しい演奏に思えてくるが、このように往年の大指揮者が振ったハイドンを聴き比べるのも興味深い。
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