2014年6月4日水曜日

ヴェルディ:歌劇「ナブッコ」(ローマ歌劇場日本公演、2014年6月1日NHKホール)

非常灯までもが消えて会場が暗くなってからしばらくが経った。やがて拍手が鳴り響く中をリッカルド・ムーティはゆっくりと指揮台に立ち、振り返って会場を見上げた。3階席からは早くもブラボーの声が響く。ムーティはおもむろに舞台の方へ向きをかえタクトを振り下ろした。金管楽器の静かな和音が鳴る。それだけでこの音楽がヴェルディの音であることを語っていた。フルートがあの有名なメロディーを奏で始める。歌うところではめいっぱいカンタービレとなり、速いところでは一目散に勢をつけて走りだす。これはやはり上手いと思った。序曲だけで私は圧倒された。

またもやブラボーが叫ばれるといよいよ幕が開き、舞台上に並んだ合唱団が冒頭の歌を歌う。「祝祭の飾りは落ちて砕けよ」。乙女たちとレビたち。その中に混じってザッカリーア役のドミトリー・ペルセルスキーが2つのアリアを続けて歌う。「エジプトの海辺で」「太陽の輝く前の夜のように」。ペルセルスキーは先週見た「シモン・ボッカネグラ」で重厚なフィエスコ役を演じ私を心底感動させたのだが、この「ナブッコ」においても圧巻であった。おそらく今回はペルセルスキーにつきると思った。

そこへ紛れ込む奴隷の娘アビガイッレは、当初予定されていたタチアナ・セルジャンに代わって、ラファエラ・アンジェレッティが登場した。この案内はあまり目立つようには掲示されてはいなかったが、このことが非常に不親切に思われた。そしてこの交代は私を大いに失望させた。アンジェレッティの歌唱は綺麗なのだが、力が不足気味に感じられた。広いNHKホールに声を轟かせるのは難しいかも知れないし、それがアビガイッレ役ともなると2オクターブもの高低差を行ったり来たり。その難役を演じきることは大変なことだろうとは思う。だからこそ本命の歌手が代わったことを、残念に思わざるを得なかった。おかげでザッカリーアやナブッコとの二重唱も、やや気の抜けたもののように感じられた。

イズマイーレとフェネーナも、最初は少し力不足に思えた。だが彼らは登場するシーンがもともとそう多くない上に、出来が次第に良くなっていった。フェネーナのソニア・ガナッシは、特に第4部において絶賛されるべきレベルの「天国は開かれた」を歌ったことは印象に残っている。

ザッカリーアに次いで素晴らしかった歌手は、主役のナブッコを歌ったルカ・サルシだったと思う。彼はヴェルディの繊細なバリトン役を、ある時は力強く、ある時は思いを込めて歌った。すなわち第1部フィナーレでの怒涛のごときアンサンブル、第2部における王冠奪還のシーン(ただし稲妻に打たれる)、第3部のアビガイッレに対する父親の愛情と弱さ、さらには第4部における改宗のアリア「ユダヤの神よ」などである。各部で見せ所のあるナブッコがつまらなければ、このオペラはやはりつまらなかっただろう。

合唱が活躍するのが「ナブッコ」の大いなる見どころである。ローマ歌劇場の合唱団はさすがにイタリアの合唱団だと思った。ひとりひとりがそれぞれに歌っている。その総合的な力は、まさにヴェルディの歌となっていく。これはオーケストラにも言えることだが、彼らとしてはヴェルディの音楽を、そういう個人個人の思いと力の集合体として捉えているように思える。ややくすんだアンサンブルも底堅く美しく、やはりこれは自分たちの音楽であるというプライドが感じられる。

ムーティの指揮は、歌う時には歌い、力強くあるべきところでは瞬発的に音が鳴り響いた。メリハリのある流れも、かつてのように力みを感じることはもはやなく、それでいて緊張感を維持する。ツボを得た指揮は、オーケストラも合唱団も安心して力を注ぐことができるのだろう。力を抜くことはない。つまりは真面目で、細部にまで神経が行き届き、古い録音に見られるような、慣性的な曖昧さを持つことがない。だからレコードのように美しい。

第3部では、幕前で演じられたナブッコとアビガイッレの二重唱に続く「行け、我が思いよ」の前で、ムーティはきっちりと間を置き、その後には幕が静かに開くと、捕虜となったヘブライ人の合唱団が舞台いっぱいに広がっていた。ここのシーンが第一の見せ場だったと思う。ジャン=ポール・スカルピッタの演出は、派手ではないが退屈なものではなかった。最小限のセットをうまく駆使して、それなりに新鮮なものであったと言って良い。雷のシーンも目立たせず、むしろ音楽にこそ注力されるべきだとのムーティの考えに沿ったものだろうか。偶像か壊れるシーンもほとんど存在しないに等しいくらいのものだった。

アビガイッレの美しいアリア「かつては私も」などが不調に終わり、やや不満はないことはなかったものの、総じてこれは現在望みうる「ナブッコ」の最高ランクの演奏であったと想像できるし、ローマ歌劇場はムーティとの関係により、おそらくは現在望みうる最高の本場物ヴェルディを演奏していることも確かなものに思えた。そうであればあるほどこの公演は、「ナブッコ」のオペラとしての魅力と限界を、おそらくは最高の形で示し得たのではないかと思う。ただ残念なことは、少し広すぎるNHKホールのせいで、何人かの歌手の声が届きにくかった。重唱になれば、特にその欠点が助長された。

何度かのカーテンコールが終わると幕が再び開けられ、舞台上にオーケストラのメンバーも上がって総立ちの観客の拍手に応えた。一連の引越公演が全て終了した。舞台には「大成功ありがとう」「SAYONARA」などと書かれた横断幕が広げられ、合唱団と歌手、それに指揮者はいつまでも手を握り合っていた。まだ6月というのに33度もの気温を記録した東京も、まもなく梅雨のシーズンに入る。まるで地中海性気候を思わせるこの1週間は、その直前のもっとも輝かしい初夏の陽気に、来日した演奏家も大いに東京滞在を楽しんだのではないか、などと想像しながら雑踏の渋谷駅へと下っていった。

(下の写真は1994年、ローマを訪れた際に撮影したもの。歌劇場の前。)

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