2014年9月12日金曜日

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調(P:内田光子、クルト・ザンデルリンク指揮ロイヤル・コンゼルトヘボウ管弦楽団)

興味深いことに村上春樹氏の対談集「小澤征爾さんと、音楽の話をする」(新潮社)では、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番のいくつかの演奏を二人が聴き比べる、というところから始まる。この曲の、これほど多くの聴き比べの文章を読んだことはない。そのこと自体が意外だが、その対話を通して小澤征爾の音楽観に、ごく自然に迫っていく感じがとても興味深い。

対談の第1章の最後のほうで村上が引き合いに出すのが、内田光子が奏でるこの曲の録音で、伴奏はザンデルリンク指揮のコンセルトヘボウ管弦楽団である。そして「あまり時間がないので」ということで第2楽章から聴き始めるのである。それまでグールドを始めとする数々の演奏について触れ、話もブラームスからマーラー、小澤の若い頃の話などにそれたりしながら、最後に「このへんでいよいよ」と取り出すのがこのフィリップスの録音というわけである。「僕はこの二楽章の演奏が何より好きなんです」。

ここの部分を読んで私は同感したと同時に、自分の好きな演奏が取り上げられてとても嬉しく思った。グールドの演奏こそ聞いたことはないのだが、私自身この演奏が気に入っているからである。内田光子が満を持してベートーヴェンの録音にとりかかった時、彼女は競演する指揮者をザンデルリンクに頼んだ。彼女が信頼を寄せる指揮者だったからだということだった。地味な選択がとても意外に思えたし、そして新鮮だった。だから買うとすればどの曲にしようか・・・全集での発売がまだの時点で、私は第3番と第4番をカップリングした一枚に目をつけた。

村上春樹が最後にこの演奏を取り上げているのは、何か意図してのことのようにも思う。そしてそこで聞かれるのが第2楽章・・・その部分を私はまた大変愛するのだが、その理由が初めてわかったような気がしたのである。いや本当のことを言うと、この対談を読んだことで、この演奏の、特に第2楽章について再発見をしたということだ。村上の注釈は「空間に墨絵を描くような、どこまでも美しいピアノの独奏。端正で、かつ勇気にあふれた音の連なり。ひとつひとつの音が思考している。」

この演奏は内田光子の個性がよく現れた演奏であると同時に、それがうまく曲にマッチしているのだろうと思う。小澤征爾は言う。「この二楽章というのはもう、これ自体特別な曲ですよね。ベートーヴェンの中でもほかにこういうものはないような気がする」。二人が「うーん」とうなるほど感銘を受ける演奏を、私も手元のCDで聞き直してみることにした。

まず冒頭で嬉しいのは、コンセルトヘボウの素晴らしいアンサンブルである。木管楽器やヴァイオリンが見事に融合しながら、端正な音楽を形作っていく。その様子を優秀な録音が良く捉えている。ピアノが入ってくると、内田光子のよく考えぬかれた演奏が手に取るように広がる。音楽があふれるような身持ちで、一音一音大切にしながら、かといって情に溺れることはない。

そういう調子で長大なカデンツァに至る。もちろんベートーヴェン作曲のカデンツァである。ピアノ・ソナタを感じさせるその作品は、ベートーヴェンがピアニストであると同時に作曲家であり、その2つの要素が不可分であったことを示している。彼は自分が演奏することを想定してこの曲を書いたのだと思う。第2楽章の素晴らしさは、大作家の表現する通りだから、私は何も書く必要はないだろう。なお、小澤征爾はこの曲を1回だけ、ルドルフ・ゼルキンと録音している。この演奏も素晴らしいが、感銘という点では内田光子の演奏に及ばないというのが正直なところだ。もちろんこの対談集にも少し取り上げられている。


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