かつて大阪で暮らしていた頃は、実際にオペラを見る機会などなかった。夏休みに海外へ出かけた時などに、ローマやヴェローナで見た野外オペラと、伯父の住むニューヨークに居候してMETで見た「オテロ」が僅かな体験だったことは先に書いた(それでもこれらは一生の思い出となる公演だった)。
1992年に東京へ移り住んでからは毎年十数回ずつコンサートに出かけるようになった。その中には演奏会形式による歌劇もあった。プログラムが大阪のように、有名曲ばかりでないことが、私の興味の対象を大きくさせた。そのような中のひとつが、若杉弘によるR・シュトラウスの「町人喜劇」であり、休憩を挟んで「ナクソス島のアリアドネ」が上演された。
「ナクソス島のアリアドネ」は短いオペラで1時間半ほどであった。それもそのはずで、このオペラはモリエールを原作とする戯曲「町人貴族」作品60の劇中劇として書かれたのである。シュトラウスのオペラといえば、「サロメ」や「エレクトラ」のような野心作や「ばらの騎士」「影のない女」のような豊穣な作品を思い浮かべるが、いずれにしても規模は大きい。それに比べるとこの作品は、室内楽のような規模のオーケストラである。
この日の都響の第397回定期演奏会は、サントリー・ホールでありながら小道具も用意され、オペラだけでなく「町人貴族」から演奏するという、最初の原作により忠実なものである。当時のプログラムが残っていたので、この機会に当時のキャストを書き写しておこうと思う。
・ジュールダン氏/バッカス:田代誠
・ジュールダン夫人/アリアドネ:岩永圭子
・歌手/山彦:三縄みどり
・羊飼いの少女/ナイアーデ(水の精):菅英三子
・羊飼いの少年/ドリアーデ(木の精):白土理香
・ツェルビネッタ:釜洞祐子
・ハルレキン:大島幾雄
・ブリゲルラ:錦織健
・トゥルファルディーノ:高橋啓三
・スカラムッチョ:吉田浩之
第1部「町人貴族」と第2部「ナクソス島のアリアドネ」で一人二役を演じる歌手が多く、何が何かわからなくなってしまうので、このオペラのあらすじは押さえておく必要があるのだが、当時の私は何も知らずに出かけた。今思えば、我が国の有名な若手歌手が出ており、華やかな舞台だったようだ。登場人物が多いにもかかわらず結構な頻度で上演され、若手歌手が総出で演じるということも多い。
なぜこの演奏会に行ったかと言えば、直前に見た若杉弘の「幻想交響曲」の実演が素晴らしかったからだが、若杉はこの曲を日本で初演している(1971年)ので、十八番といったところだろうと思う。だがこの日の上演は、初演時の状況を再現しようとする野心的なものだったようだ。だからプログラムも「町人貴族」(オペラ「ナクソス島のアリアドネ」付き)となっているが、「町人貴族」の方では8曲が抜粋されている。そして若杉は「町人貴族」の台詞を自ら編纂しているという力の入れようである。
「町人貴族」における小金持ちの舞台裏に続き、茶番劇とギリシャ悲劇が交互に上演されるという奇抜な発想に基づいたオペラは、私をはじめてシュトラウスの世界に導いたと言って良い。あらすじを理解するよりも前に、音楽の絢爛な重なりに魅了されてしまったからだ。特に「アリアドネ」の終盤では、唖然とするほどに美しい音楽だと思った。そしてP席という舞台裏で見ることになった私は、歌手や金管楽器がすべて向こうを向いて歌うというハンディを乗り越えて、生で聞くシュトラウスに聞き入った。
できればもう一度見てみたいと思いながら果たせていないが、そう言えばシュトラウスのオペラは、このホフマンスタールとのコンビで作られたものだけで7つもある。この上演を見た時に、これからまだまだ見る機会があると思っていた若い私は、その思いの半分も果たせていないまま年を取ってしまった。生誕150年の今年は、そのオペラのボックスCDも売り出されているから、買って揃えておこうと思ってはいるが、それを聞くだけの時間的なゆとりは、悲しすぎるほどない、というのが現実である。
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