ショスタコーヴィチが生まれたのは1906年、ロシア革命が1917年、ソビエト連邦の創立が1922年。「鼻」は1927年から作曲され、1930年に初演された。彼が24歳の時で、日本では昭和5年ということになる。私が生まれた頃まだ存命だった社会主義国最大の作曲家は、1975年に亡くなっている。そしてソビエトが消滅したのは1991年である。これは今から23年前ということになる。
前衛的とされたショスタコーヴィチの音楽は、私が小さい時に聞いた時には、これより先の音楽などあるのだろうかと思ったものだった。まるで機械のように無機的で、何の音楽的共感も感じなかったが、それこそがショスタコーヴィチの、いや共産主義国の音楽だと理解していた。だがソ連の崩壊から20年以上が過ぎ去り、このようなオペラもニューヨークで上演されるのを見ていると、やはり時代というのは移り変わり、新しものも徐々に古くなっていくものだと思った。社会主義リアリズムも、「古典的」とさえ思えるような、つまりはこの時期の作風はこうでした、と解説書に書かれてしまうような「古さ」を感じてしまう。そしてその「古典」を巧みに料理して、「現代」の劇として新鮮に上演する・・・今回のMETの上演はまさにそのようなものだった。
舞台上に現れるスクリーンに展開されたのは、時折キリル文字の中に英語も交じるアニメーションで、そこに「鼻」が登場する。「鼻」は舞台の歌手たち(その数はすこぶる大勢だったが)の歌(はもちろんロシア語である)に絶妙に呼応して、影絵のようなものになり動き回る。踊りだすかと思えば、時折ショスタコーヴィチのモノクロ写真や古いタイプライター、あるいは新聞の切り抜きといったものに変わったりと、その変化を見ているだけで楽しい。合わせて音楽が賑やかにチャカチャカと鳴り、歌も上下に行ったり来たり。ショスタコーヴィチの音楽を堪能できると言えば、その通りなのでが、では果たしてそれが楽しいのか、と問われれば答に窮してしまうのは私だけだろうか。
ゴーゴリの原作を台本化したストーリーは大変複雑で、そこに何らかの意味を見出そうとする聴衆を嘲笑っているようでもあり、そのような皮肉やパロイディを見つけようと思えば見つけられるとも思うが、かといってそれにそんな意味などない、と思えばそうすることも可能である。その難解そうで難解でない、というのがこのオペラの真骨頂なのではないかと思う。
何の事はない。ある日起きてみたら自分の鼻がなくなっていた下級官吏のコワリョフ(バリトンのパウロ・ジョット)は、そのことに気づくと嘆き悲しみ、警察署に行っても新聞社に行ってもにわかに取り合ってくれない。ところがひょんなことからその「鼻」が発見され、いろいろあって最後にはもとの顔に戻る、という奇天烈なストーリーである。2時間程の作品ながら登場人物は非常に多いので、これだけ数多くのロシア語役者を揃えるのは大変だっただろうと思う。指揮はパヴェル・スメルコフのエネルギッシュなもので不足感はないが、何と言っても見せものは南アフリカ人ウィリアム・ケントリッジの斬新かつ機知に富む演出だったろう。
観客は満員でブラボーも飛び交うあたりはさすが本場だと思わせるが、私自身はと言えば、こういうMET Liveのような機会がなければ見ることはなかっただろうと思う。それでけに貴重な経験だったとは思う。しかしスクリーンには、いつものようなインタビューや解説は、ゲルブ総裁のケントリッジ氏への短いインタビューを除けば何もなく、幕間の休憩時間もない。2時間を一気に見せたので、緊張感を維持するには役だったし、4時間にも及ぶ作品が多く、特に体力的にきつい身としては助かった、ということは言える。
今となっては歴史の教科書に載るだけとなったソビエト連邦も、私が中学生の頃は世界を二分する大勢力を誇り、その存在感はすごいものだった。私も運動会のような音楽を短波放送で聞いたものである。けれどもショスタコーヴィチは、少なくともその「証言」以後は、音楽に込められた寓意において、反社会的な思想だったという。そういうことが感じ取れる音楽・・・というのはやはり難解で想像の域をでないのだが・・・は、また別途書きたいと思う(いつのことになるかはわからない)。ただ、この「鼻」にも暗に込められた教会的、宗教的な潜在意識ともいうべきものは、やはり感じ取ることができる。彼はやはりロシア時代に生まれた作曲家だからであろうか。
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