「ドニ交響曲」と呼ばれている第90番から第92番までの3曲で、ようやく「ザロモン・セット」の手前に至る。思えばここまで長い道のりであった。「ドニ交響曲」の名称の由来は、「パリ交響曲」の作曲を依頼したドニ公爵にちなむもので、すなわちこれは「パリ交響曲」の続編とも言うべきもの?である(ただし楽譜はエッティンゲン=ヴァラーシュタイン伯爵に献呈された)。
それにもかかわらずこの3曲は「パリ」と「ロンドン」の間に挟まれて、いささか存在感が弱い。録音の数もここだけちょっと少ないような気がする。そういう中でサイモン・ラトルはこの作品を2回も録音しているのが注目される。最初はバーミンガム市交響楽団を指揮したもので、1990年のスタジオ録音。もう一つはベルリン・フィルを指揮した2007年のコンサート録音である。後者のCDは、その「陽の当たらない」第88番から第92番までを収録しているというユニークなもので、さらに面白いことにラトルは、まだ「パリ」も「ロンドン」も通しでは収録していない。
そのベルリン・フィルとのCDには、もうひとつ別のトラックが入っていてそれは何とこの曲の終楽章を拍手入りで演奏しているのだ。いや正確に言えば拍手入りのほかに、拍手なし版がボーナスとして収録されているというべきか。これについてラトルは、拍手も音楽の一部であるからだと述べている。ここには拍手だけでなく、聴衆の笑い声や熱狂的な最後の拍手も収録されている。もしかしたらこの曲のライブ収録をしたかったため、2枚ものCDが存在することになったのかも知れない。
第1楽章の序奏からハイドンらしい幸せな雰囲気に満たされる。印象的な主題は一度聞いたら忘れないほど完成度が高い。わかりやすいソナタ形式に乗って時折顔を出すトランペットも気持ちがいい。第2主題はフルートが、続いてオーボエがソロを吹く。それ自体も小鳥のように愛らしいが、ベルリン・フィルの方ではそこに装飾音が混じっていて、あっと思わせる。
第2楽章の高貴な味わいもまたいい。6分以上もあるが長くは感じない。ここでもフルートの独奏が光る。主題がさりげなく変奏されていくさまは、ここへきて風格を感じさせる。そして第3楽章のメヌエットもまたしかりで、ハイドンの典型的な音楽と言うべきだろうか。
さて第4楽章である。ここの諧謔的効果は何と言っても長い休符である。それは4小節の全休符で、しかも2度登場する。これによって終わると思われた曲が続く、ということがおこる。拍手が起こるのはその2回ということになる。だが第1回目はあまりに短いんじゃないの?という感じがしないでもない。それで観客もためらいがちはある。そこでラトルは、拍手が始まるとその休符を十分に取り、拍手が鳴り止むと音楽を再開。観客から笑い声が漏れる。
2回目は本当に終わったかのように休符に突入。これで本当に終わったと思った客がひとしきり拍手をし終わるのを待つと、本当にコーダに突入する。爆発期な拍手は本当の最後に起こる。まるでアンコールを聞いたような、得をした気分にさせられる不思議な曲であるが、それにはこの楽章の音楽が2拍子のアレグロで、移調され変奏されていく様子が大変素晴らしいからだろうと思う。
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