2016年1月27日水曜日

モーツァルト:ピアノ協奏曲第11番ヘ長調K413(P:ウラディミール・アシュケナージ、フィルハーモニア管弦楽団)

今日1月27日はモーツァルトの生誕記念日である。1756年生まれだから260周年ということになる。10年前の250周年の時の大騒ぎは一体何だったのだろうかと思うほど、今年は静かである。そういうわけだから今日はモーツァルトのピアノ協奏曲を取り上げることにした。モーツァルトのピアノ協奏曲は27番まであるが、それをいくつかの時期に区切ってみる。

  ①第1番~第4番
  ②第5番~第10番
  ③第11番~第19番
  ④第20番~第27番

となるだろうか。①の習作期の作品を私は聞いたことがない(ペライアの全曲盤には収録されており手元にはあるのだが、演奏されることが極めて少ないことからもわかるように、実際には他人の作品の編曲とされている)。

一方本格的な作品は第5番からで、すでに第5番はもうモーツァルトにしか書けないようないい曲だ。ここから第10番までの作品はザルツブルク時代の作品である(2台のピアノための協奏曲、3台のピアノための協奏曲を含む)。

それに対して第11番以降はウィーン時代のものであり、主として予約演奏会のために作曲し、自身が演奏もしている。これらの作品は年を経るごとに充実さを増し、特に20番以降は生活費のためというよりも自らの芸術性の発露を見出すかのような水準に到達している。その表現はピアノ協奏曲という一種のジャンルを打ち立てたと言っても良く、第24番などは短調で書かれていることからもわかるように、大衆ウケを狙ったものではない(だから聞いていても楽しくなかったのだろう、演奏会は成功しなかったようだ)。

モーツァルトのピアノ協奏曲は、オペラと並んでモーツァルトの音楽史に残る功績のひとつと言ってもいいのだが、実際に頻繁に演奏され録音の数も多いのは20番以降に限られ、せいぜい15番以降がたまに演奏される。ザルツブルク時代は9番のみがダントツで有名、あとの作品はあまり顧みられることがない。

ところが、である。この第11番も実にいい作品なのである。特に第2楽章のすばらしさにはうっとりと聞きほれてしまう。誰の演奏でもその魅力は十分伝わると思う。手元にあるアシュケナージの80年代のデジタル録音もまたそのひとつである。

この作品は春のような作品である。第1楽章は大人しく、まだ初春の頃。第2楽章は春たけなわの4月頃。夢のような気持ちよさが睡魔を誘う。第3楽章は次第に暖かくなっていく晩春の頃。そんなことを思うのは毎日次第に太陽の光が増していくからであろう。私は毎朝この曲を聞きながら、快晴の空の下を会社へと向かう。モーツァルトはいつ聞いても素晴らしいが、春に聞く若き日のモーツァルトはまた格別である。

0 件のコメント:

コメントを投稿

ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102(Vn: ルノー・カピュソン、Vc: ゴーティエ・カピュソン、チョン・ミュンフン指揮マーラー・ユーゲント管弦楽団)

ブラームスには2つのピアノ協奏曲、1つのヴァイオリン協奏曲のほかに、もう一つ協奏曲がある。それが「ヴァイオリンとチェロのための協奏曲」という曲である。ところがこの曲は作品番号が102であることからもわかるように、これはブラームス晩年の作品であり(54歳)、すでに歴史に残る4つの交...