2016年1月15日金曜日

ベルリン・フィルのヨーロッパ・コンサート2003(ピエール・ブーレーズ指揮)

リスボンにある世界遺産・ジェロニモス修道院を新婚旅行で訪れた。1996年12月のことである。ヴァスコ・ダ・ガマとエンリケ航海王子。香辛料貿易によって得た巨大な富は、大航海時代を代表するこの二人を称え、さらなる航海における修道士たちの精神的な支えを得る場所となった。だがポルトガルの繁栄は長くは続かなかった。大航海時代の主役はスペイン、そのあとオランダへと取って代わられ、リスボンの街は天災も重なって大きな苦難を味わうことになったのだ。

ジェロニモス修道院はそんなポルトガルの短いながらも大きな繁栄を象徴する場所である。サンタマリア教会を中心に2つの博物館、それに航海時代を偲ばせる装飾的な彫刻の施された、マヌエル様式といわれる建物で構成される回廊と中庭からなる巨大な建築物である。航海を終えてテージョ川の河口に入ると見えるその姿は一層、航海士たちを励ましたに違いない。

ベルリン・フィルの創立記念日である5月1日に行われるヨーロッパ・コンサートは、ドイツ統一の翌年1991年から始まった。このコンサートはヨーロッパ各地の歴史的建造物で行われ、わが国でも放送されるしDVDなどで発売されている。2003年のこのコンサートはリスボンのジェロニモス修道院で行われた。大病を患い療養中だった私には、大きな残響をともなって響く音楽と映像自体が大変新鮮でおおいに感慨を持ちながら見たのだが、その時の指揮者が何とピエール・ブーレーズであった。それまではアバドやバレンボイムが担当していたコンサートに、何とブーレーズが招聘され、しかもモーツァルトを振るではないか。ピアニストはポルトガル生まれのマリア・ジョアン・ピレシュであることが決定的だった。すなわちこのDVDを手元に置いておきたいと思ったのである。

ビデオで見るジェロニモス修道院は、私が訪れた時とは違って修復され、中庭の植物も芝生に変わってしまったようである。このほうが見栄えは良いのかも知れないが、往時の繁栄を偲ばせる雰囲気が損なわれてしまったような気もする。そんなことを考えながら、このビデオを久しぶりに見た。ブーレーズの訃報に接したことを機会に、追悼の意を込めて取り上げる録音は何がいいかと考えたからである。

私は一度だけブーレーズのコンサートを聞いている。ロンドン交響楽団を指揮したストラヴィンスキーの「春の祭典」などである。この演奏は凄かった。オーケストラが丸で巨大な戦車のように思えたのである。 同時にブーレーズの音楽が、一般的なCDで聞くときの、やや平べったくて大人しい、ややもすればちょっと息苦しいような演奏とは全く異なることを発見したのだ。もしかするとその音作りは、CD制作会社の創作の結果ではないのか。ミキシングにおける「ブーレーズの音」の編集方針があらかじめ決まっているのかも知れない、とさえ思ったのだ。

「古い友人に会ったような気がする」とどこかの批評で読んだのは、90年代ドイツ・グラモフォンと専属契約を結び、何十年ぶりかとなる「春の祭典」の録音が登場した時のことだ。クリーヴランド管弦楽団を指揮した旧盤の「春の祭典」は、特に「生贄の踊り」の部分の正確さがほかの演奏の追随を許さないほどに完璧であると言われていたし、私も中学生時代に聞いて大いに感動していたのだが、そのあとはブーレーズはむしろ作曲に専念し、メジャー・レーベルの録音からは遠ざかっていた。

その後私はバイロイト音楽祭を録画したシェロー演出の「ニーベルングの指環」で初めてワーグナーを知った。一連のマーラーの作品はどれも名演で、何枚かを買って持っている。最近では珍しい「嘆きの歌」をザルツブルク音楽祭で演奏し、その模様はブルーレイ・ディスクで発売されている(私はこれも買った!)。というわけで私はブーレーズの演奏の、さほど熱狂的ではないがファンであると思っている。そうそうあの最速の「パルジファル」も!

思えば90年代以降のオーケストラ録音はすべてが話題であった。晩年のブーレーズはもはや超一流のオーケストラとしか共演することはなく、無表情に見える指揮から紡ぎだされる音楽は構造が正確この上ない。その表現が面白いかはともかく、近代以降の音楽の演奏のにおけるひとつの模範ともいえるものではないかと思ったりしている。

そんなブーレーズのレパートリーはせいぜいロマン派後期あたりから始まるわけで、それ以前の演奏を聞いたことがなかった。ところがこのDVDでは何とモーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調K466を指揮しているのである。このモーツァルトは何もしていないようなまったく自然な演奏だが、それがピレシュの自発的で素朴な真摯さと組み合わさって、とても充実した見ごたえのある演奏になっている。

ブーレーズとベルリン・フィルの演奏はプログラムの最初にラヴェルの組曲「クープランの墓」と、モーツァルトをはさんだ最後にバルトークの「管弦楽のための協奏曲」である。このいずれの作品も私はこれまででもっとも共感を得ながら聞くことができた。特に「クープラン」はあまり聞かないが、これほどよくわかる気がしたことはない。一方、短いコメントの後にドビュッシーの「夜想曲」より「祭り」が演奏され、これは誠に素晴らしい演奏である。

ジェロニモス修道院は天井が高い教会コンサートにありがちなように、とても残響が大きいのだろう。マイクは近めに設置されている。そのため各楽器がメリハリを持って弾かれている。前の残響を打ち消す必要があったのだろう。

ブーレーズはフランスを代表する現代音楽の作曲家もあった。だが彼は作曲家としてではなく指揮者として後世に残るだろうと思う。彼自身が現代音楽の限界を知っていたと考えるべきだろうか。音楽の知識に乏しい一ファンが安易なことを書くのはよそう。けれども私にとってのブーレーズは、ストラヴィンスキーとワーグナーそれにマーラの、他に比肩しうることのない名演奏をする指揮者であった。

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