手元の辞書には載っていなかったがcoventrateという英単語があるそうだ。その語源は、第二次世界大戦時バーミンガムにほど近いコヴェントリーの大聖堂が、ドイツ軍の空襲によってことごとく破壊されたことによる。ここから「空襲により破壊される」という動詞が誕生した。そのコヴェントリーの大聖堂は1962年に再建され、破壊された大聖堂の隣にそびえているという。
20世紀最大の作曲家の一人となっていたベンジャミン・ブリテンが、この大聖堂再建時の献堂式に際して歌唱曲の作曲を委託されたのは1960年だった、というから戦後15年以上が経過していたことになる。ブリテンは当時、「チェロ交響曲」などで親交のあったロストロポーヴィチの夫人でソプラノ歌手のガリーナ・ヴィシネフスカヤにこの構想を示し、彼女を含めた戦勝国と敗戦国、すなわちイギリス、ソ連、ドイツの3か国の歌手たちを独奏とするレクイエムの作曲を進めた・・・。
私はこのブログで数多くのブリテンの作品を取り上げた。過去に多くの作曲家がいるが、有名作品について最初に書き終えるのは、何とブリテンになりそうである。最初ほとんど聞くことのなかったブリテンに興味を覚えたのは、新国立劇場で見た「ピーター・グライムズ」に感銘を受けたからにほかならない。ブリテンの音楽は20世紀の音楽の中でも親しみやすい方だと思うが、その作品群の中でまだ取り上げていない大作が、この「戦争レクイエム」だったのだ。
新日本フィルによる「戦争レクイエム」の演奏会が開かれることを知ったのは、当日の朝だった。指揮者はイギリス人のダニエル・ハーディング。私は過去に彼の指揮するコンサートを聞いているが、あまり感動したことがない。けれどもソリストの一人に目が留まった。テノールのイアン・ボストリッジである。いまや世界を代表するリート歌手の一人であり、私もシューベルトの歌曲集を持っていたりする。コンサートの当日券はたくさんあるようだったので、私はひとりトリフォニー・ホールへと向かった。
プログラムによれば独唱者はほかに、ロシア人のアルビナ・シャギムラトヴァ(ソプラノ)、ノルウェー人のアウドゥン・イヴェルセン。合唱はサイトウ・キネン・フェスティヴァルで小澤征爾指揮のCDにも登場する栗友会合唱団。それに舞台裏からは東京少年少女合唱隊の天使のような声がこだまする。新日本フィルのいつものコンサートマスターは、今回は小編成のオーケストラの方に回る(指揮者の右側に配置されていた)。打楽器の数々にハープ、ピアノ、さらにはオルガンまで登場する。これだけ多くの出演者がいるわけだから、演奏はさぞ大規模なものかと思われるが、実際にはこの曲は静かな部分が多い。
レクイエムに限らずミサ曲では通常、ラテン語の典礼文が歌詞となる。それらは「キリエ」「ディエス・イレ(怒りの日)」「サンクトゥス(聖なるかな)」「アニュス・デイ」などである。「戦争レクイエム」も一般的な典礼文から始まり、「永遠の安息」「怒りの日」「奉献文」「サンクトゥス」「アニュス・デイ(神の子羊)」「リベラ・メ(われを解き放ちたまえ)」と続く。だがこの作品は通常の死者のためのミサ曲ではない。これは戦争に対する強烈な批判を込めた反戦の歌なのである。
その理由はこれらの典礼文(混成合唱団、少年合唱団、ソプラノによって歌われる)に混じって、 ウィルフレッド・オーウェンの詩が挿入されているからだ。詩(英語)は時に死せる兵士、あるいは死者に話しかける声となって会場に響く(室内オーケストラとテノール、それにバリトンによって歌われる)。二つの歌詞が呼応しあうように進行していく様子は、度数の開いた音程差を行き来しながら、時に鋭角的な響きを伴うブリテンの音楽に合わさり、また時には二つのオーケストラが異なるメロディーを弾くというような独自性も加わって、独特の音響的空間を作り出す。
オーウェンは25歳で戦死する。彼が戦ったのは凄惨を極めた第一次世界大戦であった。ブリテンが生まれたのはその戦争の前夜であり、オーウェンが死亡したのは終戦の1週間前だったとプログラムには書いてある。だが人類はこの過ちを再び犯す。第2次世界大戦が始まる時、ブリテンは渡米して戦禍を免れようとした。だが太平洋戦争が始まると彼は平和主義者として帰国し、音楽界を上り詰めていく。「ピーター・グライムズ」か初演された年に、第二次世界大戦は終わった。
平和な時代に生まれた戦後の大多数の日本人にとって、戦争とは間接的にしか知りえないものとなってしまった。私たち日本人が通常「戦争反対」などと言うとき、その頭にあるのは広島・長崎への原爆被害などに代表される第二次世界大戦の惨禍である。私が祖父母から何度も聞かされた戦争の悲惨な実体験もまた、太平洋戦争のそれであった。だが国が変われば戦争の記憶も異なる。大戦後に戦争はいくつもあったし、今でも内戦や地域紛争は世界各地で収まる気配がない。先日もジャカルタやイスタンブールでテロがあったばかりである。
どうすれば戦争を繰り返すことをなくせるのだろうか。オーウェンは言う。「詩人が今日できることは警告することだけだ。だから真の詩人は本当のことをいわなくてはならない」と。
死に直面した壮絶な詩を、私はコンサートで音楽に合わせきっちり読みたかったと思う。英語の詩に字幕を付けてほしかった。暗い会場ではリブレットを読むこともできないし、できたとしても音楽に集中できない。ほとんど完璧な歌い手によって静かに音楽は終わった。「われらを平和な中に眠らせたまえ。アーメン」。それからどれくらい時間がたっただろうか。ハーディングは手を下ろしたままこちらを向かない。静まり返る客席からは、物音ひとつしない。その時間が1分は続いたと思う。客席と出演者が一斉にささげる深い祈りは、永遠に続くかのように思われた。
ハーディングが静かに手を動かしたとき、会場からは次第に大きな拍手が沸き起こった。感動というよりは何とも言えない悲しみと疲れ。現代に生きる日本人にとっても戦争は身近なものになりつつある。だからだろう。深い音楽に刻まれた戦争の記憶は、たとえそれを思い起すことが求められるにしても、ずっと過去のものであってほしいと思う。この曲は「音楽」を聞こうと思っていた人を裏切る。でもそれが現代というものの置かれた、あまりに脆弱な世界の真実なのだろう。
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