昨日ブリテンの大作「戦争レクイエム」を聞いたばかりだというのに、今日はまた二十世紀を代表する作曲家アルバン・ベルクの未完の大作「ルル」を見ることとなった。両作品に共通しているのは1930年代、すなわち2つの世界大戦に挟まれたヨーロッパの空気というものであろう。この時代にしかないムードが両作品を覆っている。好む好まざるにかかわらず我々が西洋音楽に向き合うとき、避けて通れないものがここにある。マーラーやシュトラウスを経たあとで西洋音楽が行かなくてはならなかったところ。それが二十世紀の音楽である。
教科書によればシェーンベルクへ受け継がれたクラシック音楽は、その弟子であるベルクとヴェーベルンとともに十二音技法を駆使した作風を確立し、この3人は新ウィーン学派と呼ばれる。西洋音楽が長い年月をかけて確立した音階を完全に打ち壊す音楽である。ではその全編十二音技法で貫かれた「ルル」とはどのような作品なのか。
この上演では舞台いっぱいに黒い墨とちぎれた紙に書かれた文字が大きく映し出されている。過日ショスタコーヴィッチの「鼻」で見たウィリアム・ケント
リッジの手法は、ここでも舞台に統一感と緊張感を維持することに貢献し、それは斬新である上に一種の無政府的な空間を形成する。冒頭で猛獣使いが前口上を述
べる。蛇はルルであると。この蛇、何人もの人間を死に至らしめるルルの物語を暗示している。
ルルには全部で4人もの夫が登場するが、最後には自分も惨殺される。彼女は第一次世界大戦後の荒廃した社会で、刹那的に生きた成功者であると同時に犠牲者でもあるのだ。
第1幕第1場はアトリエ。ここでルルとともにシェーン博士、その息子で作家のアルヴァ、さらには画家が登場する。早くも登場人物が多い上に、音楽がそれこそいつも似たような調子なので(少なくとも初めて聞く者にはそう聞こえる)、あらすじを読んでストーリーを頭に入れていなかったことを悔やむがもう遅い。この3人はいずれもルルの魔性的な魅力に憑りつかれている。画家がルルへ言い寄るそこへ、夫である医事顧問官(ゴル博士)が帰宅。医事顧問は逆上して心臓発作を起こし死亡する。最初の犠牲者である。
ルルの出自は複雑である。台詞を総合すれば彼女はもともと貧しい街の出身で、いわば愛情というものを知らないまま生きてきた(のだろう)。貧民街で彼女を拾ったのは新聞の編集長シェーン博士で今は愛人関係にある。つまりルルを取り巻く三角、いや四角関係は、シェーン博士、今の夫である医事顧問、それに横恋慕中の画家。彼女はこれらの男を次々と翻弄していく。
第2場で画家と再婚。画家はルルをモデルに絵を描き、大金持ちになっている。さてここに登場するのはシゴルヒという老人で、彼はルルの「親」ということになっているがそれは怪しい。あらためて書くと単純なのだが、見ているとこのあたりからストーリーがほとんどわからなくなった。すると襲ってくる睡魔。音楽が斬新で、何かサスペンス映画を見続けているような感じだが、サスペンスと違うのはそのような音楽が延々と続くことである。それに加えて、それぞれの歌が不協和である。つまりはすべてがバラバラなのだ。もはや人間関係にも共感や親しみは感じられない。あるのは疑念、憎しみ、猜疑心といったドロドロしたものばかりだ。
シェーン博士というのがややこしい。彼はルルを拾って養ったが、すでにルルは2度も結婚している。もういいかげんけりをつけようと今では別の婚約者がいるのだ。ところがルルはシェーン博士との関係について、夫となっている画家に話してしまう。画家は精神的に強靭ではなかった。彼は自室にこもり自殺する。第2の犠牲者。
シェーン博士はルルに誘惑されて婚約を破棄してしまうのだが、その時にアフリカがどうのこうの、といった会話が登場し、私はうつつ気分の中で何か不思議な感じであった。もうストーリーなどどうでもいい。第1幕が終る。
第2幕はシェーン博士の家。とうとう彼はルルと結婚をしている。しかしルルは奔放で、しかも大金持ちに。様々な人々を呼び寄せ、その皆がルルに思いを寄せている。その中に同性愛者のゲシュヴィッツ伯爵令嬢がいる。さらにはシゴルヒ(「養父」なのに関係があった?)、そして少年院から逃げてきたギムナジウムの学生やプロレスラーかやくざのような筋肉マン(力技師=ちからわざし、と読むのだろうか)。さらには博士の息子のアルヴァまで!いずれもがルルに言い寄るに及んでとうとうシェーン博士は怒り狂い、ルルに自殺を迫る!けれどもここでもみ合いとなり、何とルルは夫(シェーン博士)を銃殺してしまうのだ!第3の犠牲者。
ここで10年の歳月が流れる。舞台は映画音楽に。墨がベチャベチャと天井近くから流れるのは血を表すのだとケントリッジは説明している。新聞の切り抜きのように文字がいくつも現れては消える。ここを境にルルの転落人生が始まる。ルルは警察にとらわれて投獄されたが、アルヴァやゲシュヴィッツ伯爵令嬢の下心のある尽力でコレラ病棟に隔離されている間に(?)脱獄に成功。アルヴァを誘惑しパリへと逃れる。
追補版の第3幕。パリは逃亡生活と愛の街である。オペラではいつもそうなっている。未完に終わった第3幕もパリでの生活から。ここにこれまでの出演者(シゴルヒやら力技師やら)もいるからややこしい。さらに連れ込みホテルでの脅迫やら賭博やら株の話やら。音楽は常に断片的なのに、ストーリーさえも断片的にしか理解できない。アルヴァとルルの堕落的生活。その舞台がパリである。賭博に絡んで金を脅され、密告を逃れて舞台はロンドンへ。
なれの果てのロンドンは落ちぶれ族と暗殺の街である。ルルはゲシュヴィッツ伯爵令嬢を伴って売春婦として身を立てている。舞台上の文字のテロップが英語になっている。そこに客となって登場するのは切り裂きジャックである。史上有名な暗殺魔で売春婦を大量に殺したジャックによってルルも、そしてゲシュヴィッツ伯爵令嬢も殺される。
ルルの当たり役で世界中でこの役をこなしてきたソプラノのマルリース・ペーターセンは、この舞台を最後に「ルル」を卒業するというアナウンスが最初に示された。何がどのようにいいかはもはやよくわからないのだが、表題役を歌った彼女への拍手でカーテンコールは最高潮に達した。シェーン博士と切り裂きジャックを歌ったのは、バス・バリトンのヨハン・ロイター。アルヴァ役はテノールのダニエル・ブランナ。以下、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢にスーザン・グラハム(ソプラノ)、シゴルヒにフランツ・グルントヘーパー(バリトン)、力技師にマルティン・ヴィンクラー(バス・バリトン)、画家にポール・グローヴス(テノール)など。指揮は当初ジェームズ・レヴァインが予定されていたが、早々に交代が発表され、ローター・ケーニクスが担当した。インタビューでもう50年以上も歌っているというフランツ・グルントヘーパーの印象が強く残った。彼のキャリアはプラシド・ドミンゴより長いというから驚きだが、その声もあの広いMETの会場にきっちりと響いていた。
幕間のインタビューで指揮者や歌手たちが、最初はこれをどう扱えばいいのかわからなかったが、4回、8回と聞くうちに体に馴染み、素晴らしい音楽に思えてくるというようなことをコメントしている。だが私はこの曲を聞くのが初めてなので、まだまだこなれた聞き方ができない。「ルル」も80年を経た現在、世界中の歌劇場で上演されている「古典」である。ほとんど自信はないのだが、バルトークやストラヴィンスキーがそうであったように、私にもやがてこのような音楽が「名曲」に思えるときが来るのだろうか。
ベルクはその50年の生涯に、わずかに数十曲を残しただけである。彼自身、作曲に難渋していたのではないか。師匠シェーンベルクへの手紙の中に「十二音様式はまだ、私が速く書くことを許しません」という記述あるそうだ。ほとんど生理的とも思えてくるような古典派の音楽の展開や、人間の感情を引き延ばして見せるロマン派の音楽に比べると、その音楽がそうでなければならない必然性は果たして存在するのだろうか。ある場面で、その音楽がそうなっていることをどのように想起し音符に書き留めるのか、私は作曲家でないからわからないが、その理由がわかる人がいれば説明してほしいと思う。もしかするとその説明は、ほとんど素人が理解できないものかもしれない。十二音技法に持ち込まれたライトモチーフや形式、あるいはシンメトリックな構造などというようなものは、私はほとんど理解できていないのだ(私もこの文章を書くのに時間がかかった)。
このオペラには2幕版と3幕版がある。ベルクは2幕まで書いて急死したため、第3幕のスケッチのみが残された。夫人は補筆を断り続けたが、その夫人も死去し1976年になってチェルハによる第3幕の補筆版が完成した。この3幕版「ルル」はピエール・ブーレーズによって初演されている。今回Met Line in HDシリーズで上演されたのもこの3幕版だが、私が手元に持っている録音はカール・ベームがベルリン・ドイツ・オペラを指揮して録音した2幕版で、録音は1968年。3幕ともなると上演時間は3時間にもなる。聞く方も大変だが歌う方も大変だと思う。よくこんな音楽を演奏し、また歌うものだと感心する。
なおベルクはこの曲の音楽からソプラノ付きの管弦楽曲として「ルル組曲」を作曲している。こちらは手元にブーレーズの指揮したウィーン・フィルのもの(ザルツブルク音楽祭2011年のライヴ)があり(Blu-ray)で、先ほど死去したこの作曲家・指揮者の手慣れた指揮姿を見ることができる(独唱はアンナ・プロハスカ。同時期に作曲された「ワイン」も収録)。
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