1500円の自由席の当日券を公演前に買い求め、NHKホールの3階席、しかもその後方に座るのは何年振りだろうか。上京して間もない頃の90年代、私はいきなり定期会員となり、仕事が終わると渋谷の雑踏をかき分け、この3階席によく来たものだ。その後も3階席は私の定位置であり、シーズン中はほぼ毎週のように通った。通常は満席にならないので、後半のプログラムはもう少し前方に移動して、遠くから響く音楽に耳を傾けた。
N響の音が今一歩良くならないのは、ホールのせいだと言われた。NHKホールは紅白歌合戦には適していてもクラシックのコンサートには広すぎる、というのである。 横にも縦にも大きく、いい音に聞こえるのは1階席の中央だけだと、ある評論家は書いている。N響もそれを何とかしようとして、定期公演の一部をサントリー・ホールに移し(おかげでこの公演はほとんど当日券がない)、舞台を前方に張り出したり(デュトワ時代)、特別な反響版を設置したり(ノリントン)などといった試行錯誤が続いた。
この間に私はN響のコンサートからも遠ざかり、行くのは年に数回となった。それならいっそいい席で聞こうと、今では2階のB席や1階袖のチケットを買うこともある。だが今日の公演は久しぶりに3階席で聞こうと思った。ひとりででかけた、ということもあるが本当は、早朝から出かけっぱなしだったので、もしや睡魔に襲われるのではないかと危惧したからだ(それは2曲目のドビュッシーで現実のものとなった)。
山田和樹という若い日本人指揮者を聞くのはこれが初めてである。以前から聞こうと思って果たせないでいた。一度CD屋で視聴したビゼーの交響曲の演奏が忘れられず、もしかしたらこの曲のもっとも素敵な演奏ではないかと思った。2011年に発売されたこのCDは3000円もする非常に高価なものだった。カップリングの「ジュピター」をあきらめてダウンロードで買おうと思ったが、それもできないとわかると私は諦めざるを得なかった。
一瞬にして才能がある、のかどうかはわからないが、素人耳にもちょっと違うと思い込ませるような何かがこの指揮者にはあるようだ。横浜シンフォニエッタによる演奏も素晴らしいが、その後、スイス・ロマンド管弦楽団、日本フィルなど内外のオーケストラの常任ポストの地位を次々とものにしていったのだから。その山田和樹がとうとうN響の定期公演を指揮するということで、私も勇んで出かけたのである。
山田の演奏会はプログラムにも凝っている。今回の演奏会は「おもちゃ」をテーマにした管弦楽曲をロマン派から順に並べ、色彩感を増してゆく音を楽しもうというものだ。まずビゼーの小組曲「子供の遊び」で、このような曲がコンサートに上るのも珍しい。CDでしか聞いたことのないこの曲の冒頭が鳴った瞬間、NHKホールのせいだと思っていたN響のくすんだ音色が、きらめきの如く光彩を帯び、適度な残響をも伴って綺麗に響いた。まるで違うオーケストラのように、それは3階席後方にまで到達した。もしかしたらヤルヴィの時代を迎えてN響は「本当に」音が変わっていたのかも知れない。
続くドビュッシーのバレエ音楽「おもちゃ箱」(カプレ編)も大変珍しい曲である。おもちゃ箱から飛び出す登場人物たち、すなわち人形の女の子、木彫りの兵士、道化師プルチネルラにはそれぞれテーマ音楽がつけられ、その紹介から始まる。ピアノが活躍し、いろいろな楽器が様々なリズムで登場する。全体に大音量の音楽ではないが、奏者の数は多いのだ。私も初めて聞く曲なので、一生懸命聞こうとはしたのだが、ここで睡りの世界からやってきた魔法師が私を音楽から遠ざけた。私が目を覚ますころ、35分に及ぶ曲は終わろうとしていた。なおこの曲には語り(女優の松嶋菜々子)がついていた。彼女は長い台詞を間違うことなく朗読し、音楽との呼吸も見事だった。
プログラム最後はストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」であった。この演奏者いじめとも思われるような難しい曲を、手際よく処理していく指揮者にまず心を打たれる。冒頭のフルートの難しいメロディーも今のN響はとても上手に弾いていく。ホルン、ファゴット、クラリネット、トロンボーン、独奏バイオリン、それにピアノと打楽器。20年以上前、いやテレビで見ていた少年時代からすると今のN響のレベルは、本当に高いと思う。あのストラヴィンスキーが、日本人の指揮者、そして日本人のオーケストラによってこれほどにまでこなれて聞こえることがあっただろうか。山田和樹の指揮はとても処理がうまく、かえって難しさを感じさせない。もっと時間をかければ、さらに上等の演奏になるものと思われる。おそらく忙しい指揮者なので、次々とこなしていくことでレパートリーと経験を積んでいくのだろうと思う。
それにしても欧米のオーケストラで聞く「ペトルーシュカ」でしか耳を洗われるような経験をしたことがなかったものだ。だがそれと同じ程度のレベルの演奏を、私たちはもう身近に聞くことができる。総じて世界のオーケストラの技術水準は高くなったと思う。おそらく今がクラシックを聴くもっとも楽しい時期ではないかとさえ思う。けれどもそれは、ささえる聴衆があってのことだ。もしチケットが売れず、CDなどが売れないとなると、この水準を維持することができなくなるだろう。そう思うと何かとても不安でもある。帰り道、私は1年ぶりに渋谷のタワーレコードに立ち寄り、最近の新譜CDなどを探してみた。けれどもそこにはもはや、かつて私を心ときめかせたものが驚くほどに減少しているように感じられた。いやクラシックでけではない。かつて洋楽の宝庫としてポップスの街だった渋谷は、いまではどこにでもある普通のショッピング街になってしまったのだから。
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