2016年9月8日木曜日

パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品6(Vn:ヘンリク・シェリング、アレグザンダー・ギブソン指揮ロンドン交響楽団)

ある日、インターネット・ラジオを聞いていたら私の好きなパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番の第3楽章が聞こえてきた。その悠然でしかも気品に溢れたヴァイオリンの響きと、きびきびした伴奏のテンポ感にしびれ、いったい誰の演奏だろうと思った。急いでWebでチェックしてみたら何とシェリングの演奏だったのだ。

この時の感激が忘れられず、長い間この曲のシェリングのCDを買おうと思っていた。できれば自ら蘇演した第3番とのカップリングがいい。そのCDもどこかで見たので、確か出ていたはずである。ところが廃盤になって久しく、手に入るのは第4番とのカップリングばかり。そうこうしているうちにすべての録音がCD屋から姿を消してしまった。近所の図書館にもない。

月日が経ってある時中古屋を覗いていたら、第4番とのカップリングが売られていた。 もうこれを買うしかない。そういうわけでやっとのことで、この演奏を聞くことができたのだ。もっとも今ではYouTubeやiTunesなどを見れば、もっと容易く聞くことはできるはずだが・・・。

さてパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番で、私のもっともお気に入りは、サラ・チャンの演奏である。この演奏はとても素晴らしいので、未だに文章化をためらっている。その前にひとまずパールマンの演奏に触れた。そして今回がシェリングである。演奏は1975年と少し古いが、伴奏の方は安定した響きでうまく独奏に溶け合っており、まずその魅力に憑かれる(だって冒頭の伴奏部分など、オーケストラだけで完結してしまうのだから)。そのあともテンポが動き、時にヴァイオリンはつらそうにも聞こえるが、決してヴァイオリン主導になり過ぎず、かといってオーケストラが出しゃばってもいない。

ヴァイオリン独奏は、今では聞かれなくなった古風な演奏であると言うべきか。まだヴァイオリンの技巧がいまほど当たり前でなかった頃(思えばパールマンが登場してくるあたりから変わった)、巨匠風のヴァイオリニストが多く健在で、ヴァイオリンの演奏というのはテクニックよりも音色と表情こそが重要だった。古い録音で聞く陰りを帯びた響きにも、古色蒼然とした得も言われぬ味わいがあって、言わばレトロな雰囲気をも醸し出していた。だがパガニーニは、そもそもテクニックがすべての曲である。

悪魔の化身とさえ言われたパガニーニの曲などというものは、すべてのヴァイオリニストが取り上げる作品ではなかったのだ。相当なテクニックが要求されるにも関わらず、曲の評価はいまひとつ・・・二流の曲を一流の演奏家がわざわざ演奏することもない、というわけである。パガニーニ国際音楽コンクールというのがあるが、そこで入賞したソリストが披露するのは例外で、つまりパガニーニの曲は若手の演奏家の一部が取り上げるだけの作品・・・でもこれが演奏できるのは凄いこと・・・。

ところがテクニックが重要な時代が来て、何と若い演奏家が軽々とパガニーニを演奏し、デビュー作として演奏してしまう事態が生じた。そんな中で、比較的昔から好んでパガニーニを演奏してきたのがシェリングである。彼は美しい音色の持ち主であった。輝かしいヴァイオリンの響きは、この作曲家にとても似合う。アッカルドというパガニーニの大御所がいて、デュトワと録音した決定的な全集があるが、アッカルドと違いシェリングはベートーヴェンやチャイコフスキーも得意である。

シェリングは技巧的な部分・・・私はあまり詳しくないので、二重のファルジョレットなどと言われてもピンと来ないのだが・・・になると速度を落とし、ゆっくりと聞かせるようにする(もしかしたらそのままのテンポで演奏するのがきついのかも知れない)。ここをそのまま切り抜けるのは今風の演奏で、それを可能とするだけのテクニックが備わっているということだから、まあ今から思えばちょっと変てこな演奏ということになるのだが。

つまり今の時代にわざわざシェリングの演奏を聞く必要などない・・・と言い切ってしまうのは簡単だけれど、何でもサラサラと進んでしまう方が、最初は違和感があった。曰く表情付けに乏しい、などと言う風に。何が原因でどちらが好ましいか、という問題ではなく、そういう風に演奏のスタイルが変化した。その変化を感じる演奏である。ただし伴奏の方は、今と同じようなスタイルで溌剌としている・・・そこがこの演奏の面白いところかも知れない。

シェリングの奏でるヴァイオリンには、どこか気品を感じる部分があって、それはそれで大変好ましいし、あまりにテクニックの全開な演奏で聞くと聞き逃してしまうフレーズにも、時折立ち止まるようになりながら注意して進んでいく。だからこちらも耳をそばだててしまうのだが、第3楽章のソロの部分などは大丈夫だろうか、などという丸でライヴ演奏を聞くときのようなスリルを感じる。私はこの演奏に感じるぎこちない部分を好意的にとらえているのだが、あばたもえくぼ、それはつまりこの演奏がそこそこ気に入っているからだと思う。

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