2016年9月4日日曜日

「わが故郷の歌~ギリシャを歌う(Songs My Country Taught Me)」(Ms:アグネス・バルツァ、スタヴロス・ザルハコス指揮アテネ・エクスペリメンタル・オーケストラ)

真っ白に塗りこめられた小路の前で、近所のおばさんたちが井戸端会議に興じている。重いリュックを担いだ私がそばを通りがかると、「今日はどこに泊まるんだい?」「うちに寄っていかないか」と話しかけられた。ミコノス島にフェリーが着くと、街はにわかに活気づく。民宿を営むおばさんたちが、こぞって船着場に集結するのだ。

私が紹介されたその部屋は、中心部から少し離れたオルノスという街のはずれの小高い丘に建っていた。見渡す限り紺碧の空と海以外、何もない。さらに丘を越えて歩いて行くと、その向こうに広がるエーゲ海の、眩いばかりの光の中に、かつて栄華を誇ったデロス同盟の中心地、デロス島が浮かんでいた。吹き付ける風は激しくも暖かい。でも風の音以外に聞こえるものは何もない。青く深い海と真っ白な太陽。それはギリシャ国旗の色である。ここの島々こそ私がかつて訪れた中で最も美しく、そして天国に近いところだと思った。

夕暮れ時になるとミコノスの街は生き返ったように賑やかになる。宝石や土産物を売るお店、入り江のヨットが波で揺れるのをいつまでも眺めながらタヴェルナやレストランで食事をする観光客。放たれた犬や鳥までもが狭い路地を徘徊し、バーから漏れてくるロックの歌声が夜遅くまで途切れることはない。

夏のギリシャの夜はこうして更けてゆく。ある日アテネの狭い通りを歩いていると、どこからかマンドリンの響きに似た曲が聞こえてきた。音楽は次第にスピードを上げたかと思うと、情熱を鎮めるかのようにまたもとに戻る。民謡とも歌謡曲とも判別のつかない歌に、私はしばし心を打たれて足を止め、そしてそのような曲を集めたカセット・テープを買ってみた。帰国後聞いてみると、そこに収められていたのは哀愁的で情熱的なギリシャの流行歌の数々。かつての栄光を惜しむような淋しさを、あの光の中に溶け合わせる歌声は、古代遺跡が青空に映えるギリシャの光景そのものではないか。

私が初めてギリシャを旅したのは1988年、21歳の時だった。ちょうどこの頃、ギリシャ出身のメゾ・ソプラノ歌手アグネス・バルツァは、カラヤンの指揮する歌劇「カルメン」や「ドン・ジョヴァンニ」に登場し、その妖艶で情熱的な歌唱を轟かせていた。そしてなんとその合間に、生まれ故郷のギリシャを訪れ、十代の頃に親しんだフォークソングの代表的な作品を、指揮者で作曲家のスタヴロス・ザルハコスとともに録音したのだ。その演奏はCDとしてドイツ・グラモフォンから発売され、我が国でも評論家の黒田恭一氏の激賞もあって大変評判となった。

難解なギリシャ語を解することは難しく、このCDのブックレットにも歌詞の大意しか掲載されていない。それでもこの歌曲集が心を打つのは、その音楽そのものが持つセンチメンタルな雰囲気によるものだろうと思う。だが私の場合、あのアテネの街角で聞いた歌そのものが、ここに収録されていたのだ(その歌は「オットーが国王だったとき」である)。

歌手は男性から女性に変わっているし、そもそも通俗的な歌をオペラ歌手が歌うことにも賛否がある。けれどもバルツァは、これらの歌を心の底から愛しており、歌うことを楽しんでいる…と想像することができる。祖国への思いは彼女のやや低い歌声によって重くこころを打ち付ける。それはギリシャが背負ってきた過酷な歴史を思い起こさせる。小アジア、特にトルコの影響が音楽の側面でも感じられる。そこで何百年もの間、隷属的な生活を強いられてきたギリシャ人にとって、そう簡単に忘れることのできないもの、いや生活にも文化にも染みついてしまった宿命ともいうべきもの、人生観が縮図となって歌詞にも反映されている。タイトルを追うだけで、その歌がどんな内容か想像できる。

「彼がたった17歳のとき、私の愛する郵便屋さんは亡くなってしまった。一体誰が私の手紙を運んでくれるの?」

「私の息子よ、お前は5月のある日に家を出て行ってしまった。あんなにも好きだった春に…私の灯も消えてしまったよ」

「カテリーニ行きの汽車は8時に発つのよ。11月はあなたの思い出にいつまでも残るでしょう。でももうあなたは、夜こっそりと来ることもないのね。・・・」

マンドリンのような楽器、ブーズキーについても触れておかなくてはならない。これらのギリシャ民謡の魅力の多くは、この哀愁的なリュート楽器の旋律によるものである。このCDではコスタス・パパドルーロスという奏者によって演奏されている。私は2度目のギリシャ旅行で、この楽器が安ければ買って帰ろうか、などと考えたこともあった。ギリシャのフォークを聞くことなど、当時は困難であった。ある時ソウルの街角で売られていたテレビドラマを集めたCDに、ギリシャのフォークを使った主題歌が収録されていた。それもこのような曲だった。そういう曲も今ではiTunesさえあれば、いとも簡単に聞くことが出来る。

だがバルツァがこの他にギリシャの流行歌を収録した話は聞かないし、他の歌手がこれらの歌を歌って国際的なリリースをした話も聞かない。音楽というものは、世界中どこにでもあって、どこで聞くことが出来たとしても、個々の経験は個人的であり、そしてローカルなものだ。でも、このCDが好きだと言う人が多くいて、2004年、アテネ・オリンピックの際には東京でもコンサートが開かれたようだ。

私はあの夏のギリシャが忘れられず、2000年、2001年と連続してギリシャを旅行した。この時には新しい国際空港が誕生したアテネの街も垢抜け、物価は高騰し、あのミコノスの街外れにまで高級リゾートが誕生していた。まだ経済危機がやってくる前のことである。私は毎日ビーチにでかけ、一日中そこで過ごした。ただ海を眺め、何もしていないのにこれほど満足感を味わったことはないくらいに幸せな日々だった。何もしない日が1週間続き、もう最後という日になるととても淋しくつらい気持ちになった。それ以降私にギリシャを思い出させてくれるのは、たまたまアテネで出会った曲を収録したこのCDだけである。真っ青なエーゲ海から絶え間なく風が吹き付ける。青い、というのがこういう色のことだったのか、と思う。その青は海の青、そして空の青。世界がどう変わっても、ここの風景だけはいつまでもそのままであると思う。ただそれを見ている人の心が変わるのだ。

「僕の塩辛い涙で時を薄めよう。僕たちにだっていい日が来るさ」

「風よ、帆を干しておくれ。僕の涙を拭っておくれ。僕に勇気を出させておくれ」


【収録曲】
1. 君の耳のうしろのカーネーション
2. 都会の子供たちの夢
3. 若い郵便屋さん
4. 五月のある日
5. 汽車は8時に発つ
6. わたしは飲めるバラ水をあげたのに
7. オットーが国王だったとき
8. ぼくたちにだって、いい日がくるさ
9. バルカローラ(舟歌)
10. 夜汽車は恋人を乗せて
11. わが心の女王


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