2017年4月8日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団第328回定期演奏会(みなとみらいホール、2017年4月8日)

月刊誌「ぶらあぼ」などでコンサート情報を調べると、この4月だけでいくつものオーケストラが、マーラーの「巨人」を取り上げている。4月8日土曜日の午後には、シルヴァン・カンブルラン指揮の読売日響と川﨑賢太郎指揮の神奈川フィルが激突。さらに翌週末にはファビオ・ルイージが指揮するN響が参戦する。まるで申し合わせたように同じ時期に同じ作品を定期演奏会で取り上げるのは、偶然であろうか。昨年の秋には「ファウストの劫罰」を2つのオーケストラが相次いで取り上げ、話題になったことも記憶に新しい。

この3つのコンサートを聴き比べることができれば楽しいが、それだけの経済的、時間的ゆとりのある人は珍しい。そこでどれかひとつ、ということになるのだが、たまたま8日の午後は予定がなく、私は思い立って神奈川フィルの定期演奏会に足を運んだ。神奈川フィルを聞くのは初めてであり、常任指揮者として4年目となる若手指揮者川崎賢太郎を聞くのも初めてである。若干33歳のこの指揮者をテレビで見て以来、一度は実演を聞いてみたいと思っていたからだ。読売日響の「巨人」はオールソップの指揮で数年前に聞いているし、N響のマーラーなら昨年のヤルヴィの超名演が鮮烈過ぎて、この演奏を越える演奏が行われることも期待しない。

神奈川フィルの定期演奏会は、横浜のみなとみらいホールでマチネの時間帯に行われた。土曜日にもかかわらず当日券が多数あることもわかり、私の家からは京浜東北線などを乗り継いで小一時間の道のりである。満開の桜を散らす小雨が降る中を、横浜目指して急いだのは、このコンサートを聞くと決めた1時間後であった。

チケットを買ってホールに入ると、指揮者自らがプレトークを行うと掲示されていた。3階席に座っていたら二人の若者が登場して、指揮台を挟んで話し始めた。川崎はこの時、次のようなことを話した。「マーラーの交響曲を演奏したいと思った。「巨人」を指揮することになって、その前半のプログラムにフィンランド人の作曲家エサ=ペッカ・サロネンの作品を選んだのは、マーラーとサロネンがともに大指揮者であると同時に大作曲家であるという共通点に加え、10年ほど前に出かけたロサンジェルスでサロネンの自作自演に接し、その『かっこいい』作品に触れたからである・・・云々」。

なかなか興味深いプログラムである。なぜならマーラーの「巨人」とサロネンの「フォーリン・ボディーズ」の間には、100年程度の開きがあるからだ。つまり通常はより古い作品との組み合わせで行われることの多い「巨人」を、その1世紀も後の現代の作品の後に演奏するのである。もしかしたらマーラーの「古さ」を感じる演奏になるかも知れない。少なくともマーラーの作品を少し落ち着いて聞くことになるかも知れない。これはなかなか面白い体験である。

現代の作品と古典的な作品を並べるのは、欧米ではよく行われることで、我が国でも意欲的な演奏会ではしばしばそのようなことがある。お客さんの意向はともかく、玄人受けと演奏家の意欲向上の両方を狙うことにより、結構な名演であっても満席にはならないという「お得感」が得られる。私はこのような演奏会が好きである。

サロネンの「フォーリン・ボディーズ」は3楽章からなる20分程度の曲ながら、編成は打楽器が所せましと並べられ、リズムも早く、なかなか興奮させられる作品である。ほとんどの人が初めて接するような作品を好んで取り上げ、そのレベルも決して低くはないというところが素晴らしい。定期演奏会なんかに通う観客はマナーが大変良く、演奏が始まる前に静まり返る。

「巨人」の冒頭もまた同様で、 弦の独特の響きに乗って木管楽器が鳥の鳴き声を奏でるあたりは実に精緻である。客も静かだと、演奏家も落ち着いて演奏できるような気がする。もちろん大変練習を重ねているのだろうことは想像がつく。神奈川フィルのマーラーと言えば、金聖響によるチクルスが一躍有名になったが、おそらくはそれ以来の演奏だったのではないだろうか。

第1楽章のクライマックスが決まると、間髪を入れず始まった第2楽章の自信を持った響きは、聞くものを興奮させた。川崎の指揮は、とてもメリハリがあって深く呼吸している様が遠くからでも感じられる。オーケストラを乗せてゆくテクニックもあるのだろう。そしてそのためには細かいところをおろそかにしない。つまりは音楽が大きくもあり、また細やかでもある。

第3楽章のコントラバスで始まるメロディーも決まり、中間部の聞きどころなどでは、静かでしかも緊張感を絶やさない。大編成のオーケストラをうまくドライブする若い指揮者からは、エネルギーが心地よく燃焼する様と、健康的で知的なオーラが感じられた。おそらくは第4楽章を、これほど冷静でありながら、かつ情熱的に演奏されるというのはなかなかないことだ。クライマックスを何度も迎えながら、オーケストラが破たんするわけでも、弛緩するわけでもなく、かといってこじんまりともしていない。

コーダでは指示通りホルンを立たせたが、そのようなことをしなくても適度な統率は維持された。空席が目立つ客席からは盛大な拍手が沸き起こり、それは各演奏者を丁寧に個別に立たせてゆく間中、途切れることはなかった。オーケストラには若い人が多く、そういう意味でも何かフレッシュな名演に接したように思い、しみじみと嬉しかった。ホールを出ると雨は上がり、春の暖かい風が馬車道を吹く抜けてゆく。

各オーケストラが同じ「巨人」を競演するなら、それぞれ少し変化があってもいいと思った。特に今日のコンサート、時間もあったので「花の章」が聞きたかった。曲の中に埋めるには抵抗があるのだろうか。第3稿に「花の章」を加えるという変則的なことは、音楽的に見てもちぐはぐなのだろうか。でもこの「花の章」は桜の時期に聞くにはうってつけだと思う。桜木町に向かう路上に植えられたソメイヨシノはまさに満開で、そんなことも考えながら家路についた。

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