
NHK交響楽団はサントリー・ホール休館中の今年、「水曜夜のクラシック」と題した演奏会を従来のBプログラムの代わりに開催した。ロシアの巨匠ウラディーミル・フェドセーエフが2013年の初顔合わせ以来、早くも5度目となる登場となるのは、N響にとっても魅力ある指揮者だからなのだろう。私も何度かテレビで見て、一度は聞いてみたいと思っていた。そしてその時が来た。フェドセーエフは今年85歳だそうである。
もっとも私はかつて一度、フェドセーエフを聞いている。1993年4月、モスクワ放送交響楽団(現、チャイコフスキー交響楽団)を率いて来日した際に、渋谷のオーチャード・ホールでのコンサートに出かけたからだ。だがこの時は、ロシアの伝説的なピアニスト、タチアナ・ニコラーエワを聞くためであった。ニコラーエワはこの年の秋に急逝したので、最晩年の演奏だったことになる。ピアノ協奏曲を2曲、十分にテンポを落としてチャイコフスキーとベートーヴェンの「皇帝」を弾き切った。この時のフェドセーエフはひたすら彼女に寄り添い、丁寧で温かみのある伴奏に徹した。
だからフェドセーエフらしい演奏というのは、よくわからないままであった。レコードでは我が家に「悲愴」の録音があったので、まあ馴染みがなかったわかではない。けれどもそれほど際立った特徴が感じられたわけではなかった。この頃、フェドセーエフはまだ50代だった。
この日、技術的にも実力を増したN響と聞かせた5曲のロシア音楽は、最初から圧巻であった。まずショスタコーヴィッチ。「祝典序曲」という作品はロシアというよりもソビエトの音楽である。壮麗なファンファーレはモスクワ五輪の時にやたらと聞いた。全編華やかなこの曲を、きっちりと迫力満点でドライブしてゆく。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は、同じロシア人の長身ボリス・ベレゾフスキーを迎えた。この大柄なピアニストは、いかにもロシア風ヴィルティオーゾという風貌で、スピードのあるテクニカルな演奏をここぞとばかりに披露する。フェドセーエフはもう少しゆっくりと演奏したかったに違いない。もしかしたら聴衆も、より陰影に富んだ演奏を期待しただろう。だがベレゾフスキーのピアノは、ここ一番の聴きどころをせっかちに進めてしまう。第2楽章の後半で、オーケストラの木管ソロが活躍する場所にきて、ようやく落ち着いたかに思われた。だが第3楽章になると、ここはピアニストの独断場である。しかし私は、どちらかというと上手く合わせるオーケストラに聞き入った。
終わってみれば、まあこういう演奏も迫力満点の名演で、中学生なら歓喜を上げるだろう。しかし日本の聴衆は近年高齢化が著しく、しかも普段から非常に音楽に詳しい。技量だけの演奏はつまらない、と感じた人がいても不思議ではない。いずれにせよ終楽章の技術的完成度は非常に高く、そしてよほど気に入ったのか、コーダの部分を何とオーケストラ付きでアンコールしてしまうというオマケ付き。最初はどこか間違いでもしたのかと思ったが、おそらく普通のアンコールだったのだろうと思う。
リムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」は私の大好きな曲で、今回もN響が、重厚感を持ちながらもリズミカルな演奏を繰り広げた。かつて私がテレビで見たサヴァリッシュの演奏を思い起こした。この曲は、もっと速い演奏が多い。けれどもフェドセーエフは、ひとつひとつのソロのパートまでもきっちりと指揮をする。いよいよオーケストラの本領発揮といった感じで最後のプログラム、チャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ」に入る。
N響は完全にひとつの楽器と化し、チャイコフスキーの音が会場を満たした。この25分間は、完璧であった。何といったらいいのか、とても長く、そしてずっと心地の良い25分間であった。指揮者が振り返ると怒涛のような歓声が飛び交い、それは何度も繰り返された。指揮者もオーケストラも満足した様子であった。この日はNHK-FMで生中継されたらしい。そしてなんと、大歓声にこたえて太鼓を担当する団員が舞台に上がる。アンコールである。
私のN響コンサート経験史上、初めてのアンコールが始まった。アンコールはハチャトリアンのバレエ音楽「ガイーヌ」から「レズギンカ舞曲」。オーケストラが揺れる。木管が高く楽器を振りかざし、チェロは全員が舞曲を踊るが如く。それにしてもすべてが大名演のポピュラー・コンサート。フェドセーエフはいつもロシア物ばかりをプログラムに並べて、お国ものだけで勝負する。聴衆もそれが目当てだから、十分である。で、N響も中低音が素晴らしく、ロシア音楽に相応しい音がするように思う。今回の演奏会では、チャイコフスキーの新しい魅力に触れたような気がした。
随分長い間、音楽を聞いていたように感じた。やはり実演のコンサートは楽しい。昼間の仕事のストレスから気分を変えるのが大変だった平日夜の演奏会も、気がつけば音楽の魅力に取りつかれ、それは眠りにつくまで続いた。仕事のことを思い出そうとしても、頭に心地よい残響が残って、思い出すことすらできない程であった。