2017年5月15日月曜日

スメタナ:「わが祖国」より交響詩「シャールカ」(ジェイムズ・レヴァイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

「モルダウ」を過ぎると「わが祖国」はいよいよ、深くチェコの森に入ってゆく。最も有名な音楽が過ぎ去り、あとは退屈な音楽が続く、と思ってはならない。ここからが聴きどころの連続なのだ。「モルダウ」の有名なメロディーも、あとから振り返ってみれば、最初の方で聞いたかなあ、などと記憶の隅に追いやられることも多い。それくらいここからの音楽は、深い印象を残す。演奏家もそのあたり良く心得ていて、オーケストラが乗って来るのは、まさに「シャールカ」からである。

恐ろし気な出だしに始まるも、すぐに陽気な行進曲風のメロディーが始まり、やがてクラリネットの素敵なソロとかみ合うあたり、何か休日にピクニックに出かけるみたいだ。そうしているうちに、高速道路でも走っているような気分になる。これまでは序曲のようだった音楽も「シャールカ」からが本番、いよいよここからボヘミア旅行に出かけるのだ、と初めて聞いた時は思ったものだ。だがこの音楽は、そんなこととは対照的な音楽である。Wikipediaから引用しよう。シャールカとは、プラハの北東にある谷の名であり、またチェコの伝説に登場する勇女の名でもある。
シャールカは失恋によって受けた痛手を全ての男性に復讐することで晴らそうと考えた。ある日彼女は、自分の体を木に縛りつけ、苦しんでいるように芝居をする。そこにツティーラトの騎士たちが通りかかる。助けられたシャールカは、酒をふるまい、皆がすっかり酔い潰れて眠ったのを見はからうと、ホルンの合図で女性軍を呼び、騎士たちを皆殺しにする。
ホルンの合図で音楽は急展開、一気にプレストとなる。たたみかけるような音楽がクレッシェンドし、大音量とともに劇的に終わる。おそらく全曲中、最大の見せ場の一つは、ここの音楽である。それは上記のように、虐殺のシーンだった、というわけである。

スメタナが「わが祖国」を作曲した当時、チェコはオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあり、ドイツ語が話されていた。スメタナもチェコ語を習得し、それに基づいて民族派のオペラを書いているが、最初から堪能であったわけではないらしい。考えてみると、ウィーンの郊外を少し行くと、そこはもうチェコである。1980年代まで西側の国際都市だったウィーンのすぐ隣に、鉄のカーテンがあった。だがウィーンとプラハはもともと行き来が盛んだった。

モーツァルトは「ドン・ジョヴァンニ」をプラハの聴衆のために書き、ベートーヴェンもたびたびチェコを訪れている。だからウィーン・フィルがこの曲を得意げに演奏しても驚きはない。古くはクーベリックによる名演が残されているが、それからしばらくたって、このオーケストラで「わが祖国」全曲を録音したのは、アメリカ人ジェームズ・レヴァインだった。このことは少し意外だったが、このCDが発売されたとき、私は大阪・心斎橋のタワー・レコードでさっそく輸入盤を買った。

それから毎日のようにこの演奏のCDを聞き続けた。私が「わが祖国」ファンとなったのは、この演奏に出会ったからだ。1枚のCDとしてはぎりぎりの長さであり、それはすなわち「わが祖国」としてはかなり速い方の演奏である。特に「シャールカ」の後半では一気に、突進するかのような演奏に興奮する。全体を通して完成度は高く、この演奏は評判こそ芳しくなかったが、今もって名演であると思う。

レヴァインの音楽は、まるでオペラのようにドラマティックであり、その録音はワーグナーのように聞こえるから不思議である。ウィーン・フィルのふくよかな響きは、木管やホルンにおいて顕著だ。そしてウィーン・フィルによる「わが祖国」の録音は、2010年代に入ってリリースされた2枚組のアーノンクール盤まで待たねばならない。

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