2018年8月15日水曜日

モーツァルト:歌劇「魔笛」(The MET Live in HD 2017-2018)

後に結婚することになる今の妻と初めてデートをしたのは、今から23年前の12月、ニューヨーク、リンカーンセンターにあるメトロポリタン歌劇場でのことだった。見たのはモーツァルトの歌劇「魔笛」。土曜日の夜の公演で、前から行こうと思っていた公演に彼女も来たいと言う。しかしチケットがない。当時普及し始めていた携帯電話を持って早めに会場へ出かけると、年間予約席のキャンセル分を売るおばさんが話しかけてきた。さっそく彼女に電話をすると、すぐに来ると言う。私は即座に2階席の正面を2枚、合わせて270ドルだったが躊躇なく買った。

この時の公演の演出はグース・モスタートで、DVDでも発売されている1991年の映像と同じである(ただ歌手はすべて異なる)。当時のプログラムを見て驚いたのは、何とルネ・パーペが脇役(弁者)で登場している!今ではドイツを代表する世界最高のバスのパーぺは、今回の映像でザラストロを歌っている。インタビューではこの公演だけのために、ニューヨークへ駆けつけたとのことである。そのザラストロは貫禄十分で、彼の右に出る者はいないだろうと思わせる。

モスタートからバトンタッチされた次の演出が、今回も見たジュリー・テイモアによるものだが、彼女の演出は、その出世作であるミュージカル「ライオン・キング」と同様にファンタジックで無国籍。決して下品ではなく、巧みに表現されているとは思うが、私はあまり好きにはなれないところがある。どうしてだろう。操り人形や仮面が随所に現れ、回転舞台には無機的な建造物が時折現れる。ザラストロの出てくるシーンは黄色く対象的で、夜の女王は赤のイメージ。一方、パパゲーノは鳥刺しらしく緑。

主役のタミーノなど厚化粧をした顔つきは、何か中国の劇に出てくる道化師のようでもあり、それが私の違和感を誘うのかも知れない。あまり高貴な感じがしない。一方、鳥や熊など多くの動物が登場するが、それらを含めて無国籍で毒がないのである。モノスタトスにしてもコニー・アイランドのポップコーン屋みたいな感じ。まあ、最初からそういう感じがしていたから、あまり期待をせずに、いつもは座らない後方の出来で、遅い昼食を取りながら鑑賞していた。

すると、三人の侍女が歌っているところからいきなり睡魔に襲われた。私は何も抵抗せず1時間弱に亘って眠りについた。この間に夜の女王のアリアも聞き逃してしまった。気が付くと舞台に登場した奴隷たちが音楽に合わせて踊りだす、グロッケンシュピールのシーンだった。もう第1幕の終わりも近い。だが、この睡眠のおかげで、その後のシーンには冴えた頭で映像を見ることとなり、第2幕でのモーツァルトの歌と音楽は、私を心の底から感動させた。

思えば第2幕をここまで注意深く見たのは、初めてではないかとさえ思うほどに、それぞれのシーンが印象的であった。実際には何度も見ているのだが、「魔笛」自体を通して見るのは何十年ぶりかであるから、まあそういうものだろうとも思う。しかし知れば知るほどに深みの増すのが、オペラという芸術である。

歌手は、ザラストロを歌ったルネ・パーぺ以外はあまり有名でない。けれども総じて高水準で、実力派揃いだったと言える。主役のタミーノは、アメリカ人のチャールズ・カストロノヴォ(テノール)。相手のパミーナは、ゴルダ・シュルツ(ソプラノ)という人。彼女は黒人だろうか、その歌声には力強さがあり、どこかキャサリーン・バトルを思い出す。またパパゲーノはオーストリア人のマルクス・ヴェルパ(バリトン)という人で、演技も上手い。パパゲーナは、最後まで仮面を被っていてあまり歌わないが、アシュレイ・エマーソン(ソプラノ)、モノスタトスにはグレッグ・フェダレイ(テノール)という大柄な歌手。

さて本作品最高の見せ場は、キャスリン・ルイック(ソプラノ)の歌った夜の女王ではなかろうか。全部で12分しか出演しないという彼女が歌いだすと、舞台に一気に引き込まれ、その完璧な歌声は広い空間にこだまする。指揮は今年解雇された音楽監督ジェームズ・レヴァインで、キビキビとした指揮は車椅子に座っているとはいえ見事である。

荒唐無稽で安物の勧善懲悪ものという変な歌芝居であるにもかかわらず、「魔笛」が輝きを放つのは一にも二にもモーツァルトの音楽が人間業とは思えないほど圧倒的に素晴らしいからに他ならない。そのことについて、限りなく多くの人が語り、書き残している。第1幕の冒頭でタミーノが大蛇に襲われる時、わずか一瞬、ひとことのセリフで大蛇を退治する時の音楽の見事さ。最終幕でモノスタトスと夜の女王が消えてゆくその数秒後に、ザラストロの前で結ばれるタミーノとパミーナ。どの瞬間をとっても物語の展開の見事さとそこに付けられた音楽の素晴らしさは、筆舌に尽くしがたい。どんな演出をしたとしても、この圧倒的な音楽の前では、霞んでしまうのではないか。それこそマジック、魔法の音楽である。

聞きどころについて語ろうとしても、全編が素晴らしいので語る術をなくしてしまう。昔から親しんできたオペラだけに、持っているCDや映像も数多いが、今ではアバドが指揮したモーツァルト管弦楽団のものが気に入っている。今年の秋には、新国立劇場で新監督に就任する大野和士がベルギーから持ち込んだ新しい演出で上演される。私はすでにそのS席のチケットを2枚買って、妻と出かける予定である。演出はMETライヴでも有名な南アフリカの美術家ウィリアム・ケントリッジで、今から大いに楽しみである。

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