今年2018年は、プッチーニの「三部作」がニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で初演されてから丁度100周年だそそうである。東京においても二期会によって、新国立劇場、日本オペラ振興会との共催で上演された。「三部作」とは言うまでもなく、歌劇「外套」、歌劇「修道女アンジェリカ」、そして歌劇「ジャンニ・スキッキ」という3つの1幕物の総称で、プッチーニはこの順で上演されることを望んだと言う。今では揃って上演されないことも多いが、今回のダミアーノ・ミキエレットの演出は、その三作品を統一した舞台の上で上演する新鮮味に溢れたものだった。
以下3作品の鑑賞記録を、それぞれ独立して書き記すことにするが、初めに断っておくと、私がこれらの作品に触れたのは今回が初めてであり、そして人生に残された時間を考えると、今後ももう二度と実演で触れる機会はないだろうということである。プッチーニの作品は、完成されたものとしてはこれが最後となったようだが、鑑賞する側としても、一生にそう何回も同じ作品に触れることはない。つまり毎回が貴重な機会である。だから、批評と言うよりはどちらかというと感激した記録となる傾向が強い。
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歌劇「外套」はパリ・セーヌ川が舞台である。序奏もなく幕が開くと、舞台の上には、貨物列車に載せるような金属製のコンテナが、等角投影法で表現する時のような形で並べられている。このコンテナに作業員が登ったり下りたりするが、新国立劇場の素晴らしい照明に映えて、様々な色に照らされる倉庫街が、無機的ながらも綺麗である。
ここで作業員のボス、船長のミケーレは、妻ジョルジェッタとかつては幸せな日々を送っていたようだ(このくだりは後になってわかるのだが)。しかし生まれてすぐに子供が急死し、そのあたりから夫婦関係が一変してしまった。ジョルジェッタがミケーレのもとで働く若者ルイージと密かに恋仲となっているのである。
ルイージはあるとき船を下りたいと言い出すが、それはこの生活を清算したいというよりはジョルジェッタと駆け落ちすることを意図したからなのだろうか。そのあたりはよくわからない。ただ二人は再度あいびきの合図として、マッチの火をつけることを約束している。
舞台ではジョルジェッタとミケーレの夫婦の会話となるのだが、私にはここがたいそう痛ましい部分に聞こえてしまう。ジョルジェッタはまだミケーレとの生活を諦めていないのかも知れない。だがよりを戻そうとすれば、それはまた喧嘩になるという有様。ミケーレが点けた火をあいびきの合図と勘違いしてルイージが現れ、ミケーレに見つかってしまう。ミケーレは思い余ってルイージを絞め殺し、外套で覆う。そこにジョルジェッタが現れ、ルイージの死体を発見するところで幕。
このオペラはヴェリズモ・オペラの性格を帯びている。まず罪を犯したのはルイージとジョルジェッタだが、ルイージを殺したのはミケーレである。そういう意味で、3人には3通りの罪が存在する。
この罪を巡って、三部先は関連した話として展開するのが今回の演出の見どころであった。とはいえ一つの作品が終わったのだから、ここでは拍手とともに、カーテンコールがあるものだと思っていた。しかし幕が再び開くと、そこにはジョルジェッタが立方体の箱に腰掛けている。「外套」で散らかったゴミや水で濡れた床もそのままである。コンテナがさきほどと同じ形態で置かれている。もちろん休憩はない。つまり舞台はそのままに、次の作品「修道女アンジェリカ」になったのである。
二期会はダブルキャストで「三部作」の公演を4回行った。私が行った9月8日は、ミケーレが上江隼人(バリトン)、ルイージが樋口達哉(テノール)、それにジョルジェッタが北原瑠美(ソプラノ)であった。3人とも良かったが、特に樋口のテノールは一層輝かしい声で会場を魅了したと思う。いまや売れっ子のテノールだから、私も生で聞けて大変うれしい。けれどももっとも拍手の多かったのは、主役の上江だった。そして上江と北原は、それぞれこの後の作品の主役として、一人二役の出演をするのである。
最前列とは言え3回席で聞くプッチーニの音楽は、やはり声が直接聞こえてこないような気がする。これは1階の前方で聞くことと比べるとよくわかるからだ。一方、オーケストラはすべての楽器が良く見える。ベルトラン・ド・ビリーは東京フィルハーモニー交響楽団から手堅くもドラマチックな情景を引き出し、私が聞いた東フィルの演奏としては最高の部類に入るのではないかと思われた。
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