1990年のFIFAワールドカップ・イタリア大会は、地元のイタリアが初戦でカメルーンに敗れるという波乱の幕開けだった。私はこの直後の夏、スイスに2か月滞在したが、それが終わって9月にバルセロナへ行くと、そこには1992年バルセロナ五輪の特設会場が設けられ、たしかSONYだったかの大規模なスクリーンに、3大テノールの映像が流れていたのを鮮明に覚えている。
そもそもオペラ歌手と言うのは大変ライヴァル意識の高い職業で、音域の同じ歌手が共通の舞台に立つことはまずない。プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス、それにルチアーノ・パヴァロッティという、当時最高水準にあったテノール歌手が、一同に会するというのは、それだけで大事件であった。だが、カレーラスの病気復帰と慈善活動への寄付、さらにはサッカーと言う共通の趣味が、この3人を結び付け、決勝前夜のローマ、カラカラ浴場跡で開かれたコンサートに結実する。
もっともこの時のタイトルは「3大テノール」ではなくて、指揮者のズビン・メータも加え「カレーラス・ドミンゴ・パヴァロッティ・メータ」となっていたように思う。メータが入っているのは、こういう場面におけるエンターテイメント役としてはうってつけの指揮者で、その大ぶりの指揮が歌手3人に引けを取らない程見ごたえがあったからだ。私はカラカラ浴場で「トスカ」を見た経験もあり、このビデオ(LDだった)が発売されると真っ先に買い求め、楽しんだことを思い出す。
このコンサートの大成功によって彼らは、ワールドカップの大会ごとに舞台に登場し、1994年ロサンジェルス、1998年パリ、それに2002年東京とコンサートを行った。さらあにはワールドツアーも行われ、ロンドン、ミュンヘン、ウィーン、ラスヴェガス、ニューヨーク、それに南アフリカのプレトリアでもコンサートが行われた。しかしこの興行路線に走る彼らのコンサートは、巨大なスポーツスタジアムに多数の観客を動員し、大盛況のうちに終わるものの、あのローマでの、ややぎこちないながらも即興的にコンタクトを取り交わし、緊張感をはらみつつお互いを気遣う、一期一会だと皆が思ったはずの演奏会ほどの感興を与えてはくれない。
指揮者はいつのまにか、マルコ・アルミリアートやジェイムズ・レヴァインに交代され、レパートリーも陳腐化していく。本日東京写真美術館で上映された「3大テノール 夢のコンサート」と題された映像作品は、そのような世界ツアーで歌われたコンサートから29曲を並べたもので、個々の歌はそれなりに感服するものの、新しい新鮮味には乏しい。過去にリリースされたロサンジェルスでの公演ほど悪趣味ではなく、わずかにインタビューなども挟まれているが、パリの公演のビデオほど楽しませてはくれない。
私はこの作品を、ローマでの成功を収めたドキュメンタリー作品だと勘違いしていた。だからこの映像からは、新たな感動は得られない。コンサートは東京大会の頃にはすでに盛り上がることもなく、テノール歌手としての声の衰えを感じるばかりであった。会場は華やかな衣装を身にまとったお金持ちで溢れたが、オペラについてどれほど知っている人がいたかも疑わしい。高価なチケットを買いあさり、巨大スピーカーからしか聞こえてこない音声を有り難く聞くのは悪趣味である。
ドミンゴはその後、バリトンにレパートリーを変え、時に指揮もこなす活躍をしているし、カレーラスもまだ歌っているが、最高齢だったパヴァロッティは2007年に死亡してしまった。もとはパバロッティが世界各地で大規模リサイタルを開いていたので、これらのコンサートもそれが下地になっているようなところがある。だがこの映像作品からは、上演にこぎつけるまでのエピソードや、パヴァロッティ亡きあとの彼らの活躍にも触れていない。
もはや20年以上も経過した過去のテノール歌手の、その衰えが顕著になりはじめる頃の映像を、2800円も支払って見に行く価値はないだろう。それでも「3大テノール」を味わいたいという人は、同時に上映されているローマでのコンサートを写した作品「3大テノール 世紀の競演」を見ると良い。ここには人間味あふれる映像が、メータの若々しい?姿とともに映し出される。誰しもが、もうこの1回だけにしけおけば良かったのに、と思うだろう。
2018年9月17日月曜日
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