2018年9月3日月曜日

プッチーニ:歌劇「トスカ」(The MET Live in HD 2017-2018)

「トスカ」は過激な歌劇である。嫉妬深い歌姫と純情な画家の青年、「歌に生き、恋に生き」や「星も光りぬ」のような有名アリアというところだけ見ると、とても美しい物語のように思えてくる。しかし音楽は冒頭からドラマチックであり、凝縮された人間ドラマがわずか2時間足らずのうちに劇的に進行し、音楽は結構賑やかである。私が初めて見た歌劇こそ、ローマ・カラカラ浴場跡での「トスカ」だった。ローマで見た「トスカ」は私の一生の思い出でもある。

最終シーンでトスカが飛び降りるのは、サンタンジェロ城である。ここはテレべ川のそばに立っていて、屋上からはバチカンにそびえるサン・ピエトロ寺院が目の前にある。ローマ市内を一望すれば、ここが中心であることもわかる。城はかつて監獄としても使われたが、今では観光名所となっている。もちろん屋上に出て写真を撮ることもできる。ここの屋上で、カヴァラドッシは銃殺される。芝居だと思っていたにもかかわらず実弾が込められていたのだ。舞台は急展開を見せる。悪党スカルピアを暗殺し、通行証まで手に入れていたトスカは、悲哀に暮れる間もなく駆けつける兵隊たちに取り囲まれ、とっさに城の屋上から投身自殺を図るのだ。

この他にも見せ場は多い。第2幕では拷問のシーンとスカルピア暗殺のシーンが、迫真の演技を持って展開される。音楽は起伏に満ち、一挙手一投足にも興奮する。第1幕では何といっても大聖堂のテ・デウムのシーン。幕切れで歌われる聖歌と、それに混じる脱獄者を追う警視総監の悪態、トスカの嫉妬とカヴァラドッシの友情、そういった様々なものが混然一体となって舞台を盛り上げる。

「トスカ」の魅力を語りだすときりがないが、これほどにまで完成度が高く、見事なオペラは「サロメ」くらいしか思いつかない。プッチーニの歌謡的なメロディーと、セクハラ・パワハラが満開の下劣なストーリーも、どういうわけかその中に入り込んで見入ってしまう自分がいる。第1幕にだけ登場するアンジェロッティを含め、主要な登場人物は全員壮絶な死を遂げる。

METライブの「トスカ」は、約10年ぶりの新演出だった。演出はデイヴィッド・マクヴィカー。指揮はフランス人、エマニュエル・ヴィヨーム。「トスカ」の演出なんて、どうせ陳腐な安物かと思うと期待を外す。丸で映画のシーンを見ているように美しい各幕の情景は、この歌劇のそもそものイメージ通りである。思えば音楽自体はあれほど原典回帰が盛んなのに、どうして演出だけが凝った、時には考えすぎのもので溢れているのだろう。今回のMETの「トスカ」は、そんな最近の演出重視の風潮に、程よい冷や水を浴びせた。

歌手が素晴らしい。警視総監のスカルピアを歌ったバリトンのジェリコ・ルチッチは、本役のいわば定番で、安定した悪徳ぶりは見事なものだが、主役の二人は、何とこの舞台がデビューだそうだ。カヴァラドッシを歌うイタリア人ヴィットーリオ・グリゴーロと、トスカ役のソプラノ、ソニア・ヨンチェヴァである。二人ともこの役になりきり、心から役を演じることを楽しんでいることがわかる。
 
特にグリゴーロは、何十年もカヴァラドッシを歌いたいと思っていたらしく、今回の出演への意気込みは相当なものだったようだ。幕間のインタビューからもそれは手に取るようにわかるが、第3幕の冒頭で歌う「星も光りぬ」が、これほどまで見事だったことは私の経験でもない。どんなに眠く、集中力を欠いていても、ここのアリアが聞こえてくるとき、グリゴーロの歌声は満点の星空にこだまし、それはまるでローマ市内に轟くかのようだ。

聞きなれた音楽、見飽きる程何度も触れたストーリー、「またもトスカか」などと半分冷ややかに見始めた舞台は、細部にまでこだわった舞台と迫真の演技、それに胸に迫りくる歌に触れて行くうちに見入ってしまい、あっというまの2時間だった。


※写真は1994年に訪れたサンタンジェロ城と、その内部から見たローマ市内。同じ風景が今回の舞台でも再現されていた。

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