フィレンツェを舞台にした歌劇「ジャンニ・スキッキ」で歌われる唯一有名なアリア「私のお父さん」は、コマーシャルでも使われたほどで大変人気がある。しみじみと抒情的なメロディーがあどけない歌声で歌われると、丸でフィレンツェの情景が目に浮かぶように、結婚に反対している父親に切々と訴えかける。ラウレッタが「もしリヌッチョと結婚できないなら、私、ポンテ・ヴェッキオからアルノ川に身投げしてしまうわ」と、娘としての覚悟を訴えるのである。
ここだけを聞いていたため、このオペラは父親と娘の愛情を描いた作品だと(私も長い間)勘違いしていた。でも本当は、恋人リヌッチョとの結婚もさることながら、リヌッチョの叔父ブオーゾの膨大な遺産を、自分の家のものにすべく遺言状を偽造してくれと頼むシーンなのである。
公文書の偽造は、最近の日本では罪にも問われないらしいが、イタリアでは手首を切り落とされたらしい。だからあの美しい青空を見えげて「フィレンツェよ、さらば」と手を振ることはできなくなるという。実際この作品の元になったダンテの「神曲」の「地獄篇」では、実在したジャンニ・スキッキは地獄に落とされたことになっている。
だが娘に請われ、ブオーゾの親類縁者から要請を受けたジャンニ・スキッキはものの見事に死んだはずにブオーゾになりすまし、医者も公証人もだましてしまう。すべては自分の都合のいいように、新しい遺言状を完成させて、無事リヌッチョとラウレッタは結婚が許される。1時間足らずのドタバタ喜劇は、前作の2つのあとに上演されるお口直しでもある。観客はどこかほっとして、この軽妙な話を楽しんでいる。プッチーニの作品がオペレッタと融合してミュージカルに流れて行く道ができていく。
1918年と言うと第1次世界大戦の頃の凄惨なヨーロッパの時代だが、プッチーニはコミカルで洒脱な作品をニューヨークに持ち込んだ。ドラマは音楽に乗せて歌われるというより、台詞として語られることのほうが多く、音階もいっそう20世紀的である。現代的な響きの多いオペラの中に、突如として始まるアリア「私のお父さん」は、「歌に生き、愛に生き」を突然歌いだすトスカを思い起こさせる。
「外套」「修道女アンジェリカ」で使用された、放射状に配置されたのコンテナは、そのままカラフルなドナーティ家の邸宅となっている。居間にはテレビも置かれ、大人の話(遺産相続)になると、子供はヘッドフォンを付けさせられて「トムとジェリー」なんかを見させられる。ベッドには亡くなったドナーティが横たわり、そこに医者が訪ねてくるあたりが笑いの最高潮だった。
邸宅の部屋は最終場面で壁が崩れ、本来のコンテナの風景(すなわち「外套」のシーン)が蘇る。スキッキは外套を着て口上を述べるあたり、なかなか凝った演出で飽きることがない。ジャンニ・スキッキを演じた上江隼人は、「外套」での主役ミケーレと二役をこなす。方や悲劇、方や喜劇。一方小柄な娘ラウレッタは新垣有希子。間髪を入れず歌いだす「私のお父さん」は、とても綺麗で会場いっぱいにこだまし、大きな拍手が沸き起こった。またラウレッタの恋人で、ドナーティの甥リヌッチョ役は、テノールの新海康仁(テノール)。
ド・ビリーの指揮する東フィルの演奏は、ここでも誠に申し分ない。そして、ミキエレットが述べているように、この3つのオペラは、優れた一人の台本作家によって創作されたことを忘れるべきではない。ジョヴァッキーノ・フォルツァーノである。今年新国立劇場の音楽監督に就任した大野和士も、台本作家の重要性を強調している。音楽と原作に挟まれ、あまり気にしてこなかったのだが、プッチーニの音楽がいまあるのは、優れた台本作家を探し求めた結果なのだという。特にこの「ジャンニ・スキッキ」では、名前以外に具体的なことはほとんど書かれていない人物と、その注釈というわずかの情報に想像を加え、こんなにも楽しい劇が創作された。
最後に、フィレンツェについて。「ジャンニ・スキッキ」の舞台であるこの美しい中世都市は、私も2回旅行している。その観光の中心とも言うべきポンテ・ヴェッキオとアルノ川を写した画像が見つかったので、ここに掲載しておきたい(1987年夏)。またフィレンツェと言えば必ず紹介されるドゥオモを、少し高いところ(ミケランジェロ広場)から眺めた写真を、私もご多分に漏れず撮影している(1994年冬)。どちらの時も天気が大変良く、レンガ色の屋根が「青い空」に映える素晴らしい一日だった。それが「ジャンニ・スキッキ」の台詞に何度か登場するので、やはり昔から、この町は「青い空」が相応しいのだろうと思った。
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